二〇〇八年 卯月 廿六日 土曜日■ 「住職」を英語で [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 英辞郎で「住職」を引いてみたところ、"resident priest" という訳が載っていた。この英語を文字通り訳すと「住み込みの僧侶」ということで、「住職」をそのように解釈したのだろうが、これは誤りだ。(修正依頼を出しておいたので、次回の改訂時には直っているだろう。) 「住職」というのは、「住持職」の略で、寺の長である僧を意味する。「住持」とは仏法を守護することで、寺に住むこととは関係がない。したがって、英訳としては "chief priest" や "head priest" が適当だ。 日本語にしかない概念を外国語に訳すときには、まずその日本語を正確に理解することが必要だ。普段日本語で生活をしていても、言葉の正確な意味は案外分からないものだ。「見立て」のときもそうだったが、日本語独自の言葉については、和英辞典を引く前に国語辞典を引くとよい。 [この記事だけを読む。] [最新の記事を読む。] 二〇〇八年 卯月 五日 土曜日■ 「一筆書き」を英語で [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 「一筆書き」を英語で何と言うか調べていたのだが、対応する言葉はないようだった。説明的に "to draw a picture with a single stroke" などとも訳せるが、しかし、欧米に一筆書きそのものがないわけではない。数学の世界では「ケーニヒスベルクの橋」問題が知られている。そこで検索してみると、Wikipedia の Eulerian path のページに行き当たった。 グラフ理論では、2種類の一筆書きを区別するようだ。始点と終点が異なるものを Eulerian path、始点と終点が同じものを Eulerian cycle という。前者のように一筆書きできる図形は traversable であると言い、後者のように一筆書きできる図形を unicursal または Eulerian であると言う。 そうすると、「一筆書き」は、文脈によって "an Eulerian path" と訳したり "a traversable figure" と訳したりもできる。 [この記事だけを読む。] [最新の記事を読む。] 二〇〇八年 弥生 廿一日 金曜日■ 「クラシック」を英語で [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 日本で「本格ミステリ」と呼ばれる推理小説のジャンルがあるが、これを英語で何というのか。本格ミステリ作家クラブのページによると、"classical whodunit" がもっとも近いということらしい。"whodunit" は "who done it?" を縮めたもので、「誰が犯人なのか」が焦点となっている小説ということだ。また、"classical" は、第一義的には古代ローマや古代ギリシャに関するものを表すが、ここでは「古典的」という意味だ。 古典的な西洋音楽を、日本では「クラシック音楽」といっているが、英語では "classic music" とはいわない。"classical music" という。"classic" と "classical" は若干意味が異なる。"classic" は、第一義的には「最上級の」または「典型的な」という意味だが、"classic music" というと、古代ローマや古代ギリシャの音楽と解釈されると思う。 なお、美術史では、"classical" の反対が "romantic" である。前者の代表がダビッドやアングルだとしたら、後者の代表がジェリコーやドラクロワということになる。音楽でも、狭義の classical music は18世紀後半から19世紀初頭までの、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンに代表される古典音楽を指すが、19世紀のロマン主義音楽や20世紀の現代音楽も classical music に含めることが多い。 [この記事だけを読む。] [最新の記事を読む。] 二〇〇八年 如月 十九日 火曜日■ If life hands you a lemon [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 TidBITS で私が翻訳を担当した「Apple Punished for iTunes Success(日本語版: Apple、iTunes の成功で禍を被る)」の中に、"if life hands you lemons, rent a lemonade stand" という表現があった。 これの元になっているのは、アメリカの教育家 Dale Carnegie の言葉 "When fate hands you a lemon, make lemonade." または "When fate hands us a lemon, let's try to make lemonade." だ。直訳すれば、「運命が我々にレモンを与えるならば、レモネードを作ろうではないか」となる。 レモンは、英語圏ではすっぱさやつらさを連想させる。そこで、"hand ~ a lemon" と言えば、「(人に)いやがらせをする」とか「(人に)いやなものをつかませる」という意味になる。くだらない質問をされたときは、"The answer is a lemon." と返してやればよい。 "If life hands you a lemon," という表現は、「禍が降りかかったときには」という意味でよく使われる。そんなときには、レモンを逆に利用してレモネードを作る、つまり「禍を転じて福となす」というわけだ。 それにしても、"rent a lemonade stand" というのは、「レモネードスタンドを借りなさい」というのだから、レモンを使って商売をしろと言っているわけだ。なかなか気の利いた表現だと思う。 2009年11月6日追記 リーダース英和辞典によると、スロットマシンでレモンが出ると当たりがないことから、lemon に「がっかりさせられるもの」『不良品」などの意味があるそうだ。 [この記事だけを読む。] [最新の記事を読む。] 二〇〇八年 如月 十四日 木曜日■ We と「私たち」 [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 日本でもアメリカでも、駅のエスカレータで、急ぐ人のために片側を空けて立つ習慣がある。歩く側をふさいでいる人がいるとき、たいていの日本人は、腹の中で悪態をついているかもしれないが、何も言わない。一方、本当に急いでいるアメリカ人は "Excuse us!" と言うことがある。 これはなかなか面白い表現だと思う。混雑しているところで人をかきわけて歩くときには "Excuse me." と言うが、これは自分1人を通してほしいと言っている。それに対し、エスカレータでは、自分だけでなく自分の前や後にいる人も通してほしいと思っているので、複数形にするわけだ。 このような "we" を日本語に訳すのは難しい。単に「通してください。」と言うと「私を通してください。」という意味になってしまうが、だからといって「私たちを通してください。」と言うのも変だ。たまたまエスカレータで私の前後に並んだ人たちを総称して「私たち」という表現を使うことには違和感がある。「みなさんを通してください」では、自分がその中に入らないので、強いて訳すとすれば「私とみなさんを通してください」ということになる。 英語の "we" は、単に「私を含めた複数の人」という意味だが、日本語の「私たち」には、「私とその仲間たち」というニュアンスがある。「私たち」は、私とあなたであったり、友達グループであったり、会社全体だったり、あるいは日本国民であったりする。英語の "we" にも同じ用法があるが、"Excuse us." のように「私とほかの人たち」という意味で「私たち」を使うことはほとんどない。 それはなぜかと考えてみるに、日本語には単数・複数の概念がないからというのが簡単な答えなのだろうが、加えて、日本では「私とほかの人たち」について何かを言うということ自体がほとんどないように思う。欧米人にとって、私と他人との区別は絶対的だが、日本人は、常に自分の仲間の範囲を設定し、私たちとそのほかの人たちとの区別を意識する傾向があるのではないだろうか。 [この記事だけを読む。] [最新の記事を読む。] |
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