blog.鶯梭庵

二〇一六年 文月 十六日 土曜日

形容詞+です [/language]

日本語には「常体」と「敬体」がある。それぞれ「である調」「ですます調」とも呼ばれる。「です」「ます」の形は「丁寧語」と言う。常体より敬意がこもっているが、尊敬語や謙譲語より仰々しくない。初対面の人と話すときは大抵丁寧語を使うので、非日本語話者に日本語を教える場合、最初に敬体を教えることが多い。

外国人にとって敬語は難しいと言われることがある。しかし、英語にも敬語はある。日本語の敬語は、外国人にとってだけでなく、日本人にとっても難しい。丁寧語は尊敬語や謙譲語より簡単なように思えるかもしれないが、丁寧語もなかなか悩ましい。

日本語の基本文型には「〜+名詞+だ」「〜+動詞」「〜+形容詞」の3つがある。(この文脈では、形容動詞は名詞+だと解釈できる。)(学校の国語では、それぞれ「何が何だ」「何がどうする」「何がどんなだ」ということが多い。しかし、「何が」を基本文型に含めるのはおかしい。これについては以前書いた。)「だ」を敬体にするには、「です」に替えればよい。動詞を敬体にするには、連用形にして「ます」をつければよい。では、形容詞を敬体にするにはどうするか。

動詞と同じように連用形に「ます」をつけてみると「暑くます」になる。これは使われない。形容詞には「ございます」をつける。ただし、「暑くございます」ともいわない。ウ音便にして「暑うございます」「高こうございます」「大きゅうございます」とする。これが「正しい」日本語だ。

しかし、これには違和感がある。1つの理由は、「ございます」が「です」や「ます」に比べて仰々しいことだ。もう1つ、形容詞の連用形がウ音便になるのは、標準語では「ございます」のほかにない。「暑い」に助詞の「て」をつけると「暑くて」だ。「暑うて」というと、関西弁になってしまう。関西では形容詞の連用形がしばしばウ音便になる。「高こうて買えへん」「大きゅうなった」という具合だ。それぞれ標準語では「高くて買えない」「大きくなった」だ。「ございます」だけ関西風になるのは変な気がする。

そのため、一般には、形容詞に「です」をつける。「暑いだ」といえないのに「暑いです」というのもおかしいのだが、「暑うございます」よりは違和感が少ない。非日本語話者に日本語を教えるときも、形容詞+「です」が正しい形だと教える。

とはいうものの、やはり形容詞に「です」をつけるのには無理がある。試しに、完了の「た」をつけてみよう。「ございます」に「た」をつければ「ございました」だから、「暑うございました」となる。これは問題ない。一方、「です」に「た」をつければ「でした」だが、「暑いでした」とはいわない。「た」を先にして「暑かったです」とする。なんとも幼稚な響きがすると思うのだが、ほかに言いようがない。

「言いようがない」の「ない」も形容詞だ。また、否定の助動詞「ない」も形容詞と同じように活用する。これらを敬体にするなら、「正しい」日本語では「のうございます」だ。「言いようがのうございます」「行かのうございます」というと、理屈では正しいはずだが、不自然に感じる。さりとて「ないです」は幼稚に感じる。大学生が「言いようがないです」なんて言ったら、もっとましな日本語を使えと説教したくなる。自然な表現は「言いようがありません」「行きません」だ。

結局、形容詞に「ございます」をつけるのも「です」をつけるのも、どちらも違和感があるので、できれば避けたいのだ。「ない」の場合、反対語の「ある」が動詞なので、「ある」に「ます」をつけてから否定するというトリックが使える。その結果できたのが「ありません」だ。また、助動詞の「ない」であれば、直前に動詞があるので、その動詞に「ます」をつけてから否定する。

「ない」を敬体にする場合、「ます」の否定である「ません」が使えるので、「ございます」も「です」もいらない。めでたしめでたし、だろうか。これにも「た」をつけてみよう。「ません」に直接「た」をつけることもできないし、「ました」を否定することもできない。しかたがないので、「言いようがありませんでした」「行きませんでした」となる。「ます」と「です」を重ねる羽目になってしまった。このような二重敬語は一般に誤りとされるが、「言いようがなかったです」「行かなかったです」も、「言いようがのうございました」「行かのうございました」も、それぞれおかしい。「なかった」の敬体には、おかしくない言い方がありませんでした・・・。


2016年7月19日追記 そのようなわけで、私が英語を日本語に翻訳するとき、敬体を使うよう指示されている場合は、文が形容詞で終わらないように気をつける。どうしても形容詞で終わりそうなときの対処法は2つある。1つは、「の」を追加して「暑いのです」とする。この文脈では「の」は名詞扱いなので、「暑いのだ」ともいえるし「暑いのでした」ともいえる。もう1つは、「なる」という動詞を追加して「暑くなります」とする。

敬体でも「暑い」とする流儀もあるが、それでは敬体と常体の区別がなくなってしまうし、敬体と常体を混用しているようで文章の流れが悪くなる。

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二〇一六年 水無月 十九日 日曜日

「みやげ」を英語で [/language]

「みやげ」を英語でなんというか、と聞くと、多くの日本人が "souvenir" だと答えるだろう。しかし、"souvenir" と「みやげ」はだいぶ違う。

"souvenir" は、"-ir" という語尾から想像できるように、フランス語の動詞に由来する。フランス語の "souvenir" は英語の "remember" に相当する。「覚えておく」「忘れないでいる」という意味だ。したがって、英語の "souvenir" は「記念品」「思い出の品」という意味になる。

それなら「みやげ」と訳してもよいではないかと思うかもしれないが、Macmillan Dictionary を見ると "something that you buy on vacation or at a special event to remind you later of being there" とある。つまり、自分の手元に置いておいて、後でそれを見て思い出すためのものが "souvenir" だ。一方、「みやげ」は、通常は親戚や知人に渡す。したがって、「みやげ」を "souvenir" と訳すのは、たいていの場合は不適切だ。

どうして「みやげ」が "souvenir" になってしまったのか。そもそも、英語圏には、みやげという習慣がない。したがって、「みやげ」にぴったり対応する英単語は存在しない。そのため、似た意味の単語を探してきたのだろうが、それにしても "souvenir" は無理がある。他人に渡すために買うものであれば、"present" や "gift" の方が適している。

そう思って、改めて和英辞典をいくつか見てみたら、"present" や "gift" と "souvenir" を併記しているものが多かった。私が学生のときは「みやげ」= "souvenir" と習った気がするが、和英辞典も修正が進んでいるということなのだろう。

和英辞典が修正される一方で、「おみやげ=souvenirではない」によると、最近は "This is a souvenir for you." ということがあるそうだ。この記事の筆者は「これはもしかすると、在日外国人のみが使う、誤用ではないかと私は考えています。」と言っているが、私も賛成する。周りの日本人がそろいもそろって "This is a souvenir for you." と言いながらみやげを渡すので、"souvenir" を「みやげ」の意味で使うようになったのだろう。

しかし、誤用も使われるうちに用例になるもので、Cambridge Academic Content Dictionary には、米語の意味として "something you keep or give to remember a special visit or event" とある。

前述のように、英語圏にはみやげの習慣がないので、日本語の「みやげ」に対応する英語は存在しない。そこで "souvenir" の意味を拡張して対応するというのもありうる話だ。はたして、日本人が「誤用」を使うのをやめるのと、「誤用」が在日でない英米人の間に広がるのと、どちらが早いだろうか。

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二〇一六年 皐月 廿四日 火曜日

金平糖と紙吹雪 [/language]

英語に confetti という言葉がある。結婚式などでまく紙吹雪を指す。

この語源は、果物やナッツなどを砂糖でコーティングした菓子を指すイタリア語 confetto だ。イタリアではカーニバルなどを祝うときに confetto をまく習慣があったことから、めでたいときにまく紙吹雪を英語で confetti というようになったのだという。

なお、イタリア語では confetti は confetto の複数形だが、英語の confetti は不可算名詞だ。したがって、動詞は単数形でうける(Confetti is ...)。

イタリア語の confetto は、ポルトガル語では confeito となる。それが日本に入って「金平糖」になった。そのせいかどうか、金平糖の英訳を confetti にしている例を見たことがある。しかし、主要な英英辞典で confetti を引いてみても、菓子の意味はない。英語話者が confetti と聞いて思い浮かべるのは、紙吹雪だ。金平糖を confetti と訳してしまっては、それを読む人は「日本人は紙を食べるのか」と思うだろう。

せめて confetti candy とすれば、少なくとも紙ではなく菓子であることはわかる。また、イタリア語の confetto に相当する英語は comfit であり、これなら確実に菓子だと思ってもらえる。しかし、confetti candy にも comfit にも、金平糖の特徴である角がない。そもそも金平糖は日本の菓子で、英語圏に同じものが存在しないのだから、英語に訳すときは kompeito でよい。そして、最初のところで Japanese star-shaped sugar candy とかなんとか説明をつけておけばよい。

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二〇一五年 睦月 卅日 金曜日

丼勘定 [/language]

確定申告の季節になった。私は個人事業主になっているので、毎年 2 月から 3 月にかけて申告書類を作る。特に昨年から青色申告に切り替え、初めて複式帳簿をつけている。現在はコンピューターがあるので、帳簿を作るのも申告書類を作るのも、たいして難しくない。入力の仕方も、ウェブで検索すればすぐに分かる。領収書をためておいて、ときどきパソコンに入力するだけで、65 万円の控除が受けられる。

その逆に、帳簿をつけないで大雑把に会計することを、丼勘定という。食べ物を入れる丼と関係があるのかと思ったら、そうではなかった。

江戸時代の職人は、法被(はっぴ)の下に腹掛けを着ていた。この腹掛けには、大きなポケットがついている。これを丼という。丼は職人にとって、金庫であり財布である。金を受け取ったらこの中に入れ、金を払うときはここから出す。現在の所持金は、丼の中に入っている金を数えれば分かる。しかし、いくら入っていくら出たかは分からない。そういう会計が丼勘定だ。

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二〇一四年 卯月 六日 日曜日

日本人はなぜ英語ができないか・その4 [/language]

その3から続く。

英語の世界で閉じればよいのなら、英会話学校に通って、あるいは英語を聞き流すだけで、英語を習得することができるだろうか。確かに英語話者は、英語を学ばなくとも、英語の世界における内容と英語の文との行き来ができるようになる。しかしそれは、生まれてこのかた1日24時間(寝ているあいだは夢の中で)英語を聞いたり話したりしてきた結果であって、聞き流すだけで英語を習得するのは絶対に無理だし、英会話学校でも膨大な学習時間が必要となる。

1750時間の授業で英語を教えるとするなら、英語教師が教えるべきは、英語の世界観だ。英語話者は、子どもの頃に数年間英語漬けの生活を送ることで、英語の世界観を自然に体得する。日本人が日本語で日常生活を送りながら、英語話者と同じことをしても、到底追いつかない。小学校から始めたところで大差はない。(脱線するが、外国語の能力は母国語の能力を越えることはないから、日本語がおぼつかない小学生に英語を教えても無駄だ。)

もちろん、英語の世界観を知っただけでは、英語を話せるようにはならない。野球の理論を学んだところで、実際にボールを投げてバットを振らなければ野球がうまくならないのと同じだ。学問に王道なしの格言通り、練習以外に英語がうまくなる方法はない。しかし、英語の世界観がどのようなものであるかを知って練習するのと知らずに練習するのとでは、効率が格段に違うはずだ。

英語圏の語学学校に留学するのでも、英語の世界観を知った上で学校に通うなら、英語力はめきめき上達するだろう。ただし、現地で英語の世界観を習得しようとするのは効率が悪い。日本語話者はすでに日本語の世界観を持っているので、日本語の世界観と対照しながら英語の世界観を学ぶのがよいのだが、英語圏の語学学校では日本人向けの授業はしてくれない。

まとめると、英語を効率的に学習するには、英語の世界観を理解した上で、英語の世界と英語の文との行き来を練習する。練習におけるポイントは、英文和訳や和文英訳をしないことだ。英語の質問に英語で答えるのが理想だが(私自身を振り返ってみると、折り紙のメーリングリスト origami-l に参加して、英文のメールを大量に読み書きしたことが、よい練習になった)、それが難しければ、音声と文字が対応した教材を使って、リピーティング、音読、ディクテーションをするとよい。

リピーティングは、英文を耳から入力して口から出力する。音読は、英文を目から入力して口から出力する。ディクテーションは、英文を耳から入力して手から出力する。いずれにしても、英語の入力に対して英語で出力することが重要だ。ただし、いずれの練習も、英文の内容が腑に落ちてからでないと効果が薄い。そのためには英語の世界観を理解していなければならないが、逆に、英語の世界観が理解できていると、英語の出力が容易になるはずだ。英語を日本語に変換して理解し、日本語で答えを考えてからそれを英語に変換するのでは、流暢な会話はできない。

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羽鳥 公士郎