二〇〇五年 弥生 廿六日 土曜日■ 折り紙と著作権・折山紙太郎の日記に応えて [/origami]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 折山紙太郎の日記というサイトに、折り紙の著作権についての記事がいくつか書かれている。これについて、考えるところを書いてみたい。 「展開図と著作権(?)と特許権(?)」について。 創作された折り紙作品は、特定の折り手順と同一視できるものではない。分かりやすい例でいえば、折り鶴を折るとき、初めに三角に折る折り方、四角に折る折り方、正方基本形の折り目をつけてから畳む折り方などがあるが、どれも「折り鶴」という同じ作品を折っている。 折り鶴の折り図を見ながら折り鶴を折った場合と、折り鶴の展開図を見ながら折り鶴を折った場合とでは、どちらも「折り鶴」という同じ作品を折ったのである。だから、折り図と展開図はどちらも、折り方としての折り紙作品を表現したものだといえる。折り図と展開図との違いは、折り図は折り手順を表現しているが、展開図は折り手順を表現していないということだろう。しかし、折り手順は折り紙作品ではない。 折り手順はアイディアであり、著作物ではない。特許の対象だ。しかし、折り図に表現されている「折り方」は、折り手順とは違う。それは展開図でも表現されうるものだ。 「折紙と著作権は相性が悪いのではないかと疑ってみる」について。 折り紙は誰でも楽しめる。個人の楽しみのために折るのは自由だ。しかし、ウェブサイトに投稿することは、誰でも楽しめるわけではない。ウェブサイトは公共の場であり、「開放的な」ふるまいは許されない。 自分が折った作品の写真をウェブサイトに投稿する場合、自分が折っている作品の題名と創作者くらい知っているべきだし、知らなければ、知る努力をするのが当然だと思う。作品を一般に公開しようというときには、それなりの責任を負わなければならないのだし、責任を負うのがいやなら、公開しなければいいだけの話だ。 ただし、自分が折った作品の写真を公開するときに、折り図の出典を書く必要はないと思う。折り図を複製しているわけではないからだ。伝承作品なら、子供のころに折り方を教わったから特定の出典がないということも多い。しかし、川崎敏和の「バラ」など、いくつかのバリエーションがあって、どの折り図に依拠したのかが重要になる場合には、当然出典を意識する必要がある。 「著作権は必然か?」について。 あるものが著作物であるために、独創性は必要ない。必要なものは創作性であり、創作性とは、作者の個性が表現されているということである。それが独創的であるかどうかは、著作権とは関係がない。 関連記事: ・折り紙の著作権 [/origami] ・折り紙と著作権 [/origami] ・折り紙の著作権を考えるための準備 [/origami] ・折り紙と著作権・私見 [/origami] ・折り紙作品が著作物でないとしても [/origami] ・折り工程は著作物か [/origami] ・折り紙と著作権・再び前言撤回か? [/origami] ・折り紙作品使用のガイドライン(ベータ版) [/origami] |
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