blog.鶯梭庵

二〇〇四年 葉月 廿七日 金曜日

千羽鶴問題・問題の整理 [/origami]

この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。

2004年10月14日追記 原文は2004年10月12日の事故により失われてしまったが、小松さんの記事からリンクが張られていることもあり、記憶をたよりに書き直した。


千羽鶴について考え始めたきっかけは、小松さんの fold/unfold

千羽鶴を折るときに、首を折ってはいけないという人がいる。その一方で、首を折らなければ鶴ではないという人もいる。この違いは何だろう。

千羽鶴の首を折ってはいけないという「ルール」は、たくさんの人が折った折り鶴を千羽鶴にまとめるという必要性から生まれたものだろうということは容易に想像できる。折り鶴というのは、首を折るところまでは誰が折っても大体同じ形になって、首を折るところで個性が出る。だから、折り鶴を折るときにいちばん面白いのは首を折るところだともいえるのだけれど、千羽鶴としてまとめるときには、個々の折り鶴に個性があっては、まとめるのが難しいし、まとめたときの見た目もよくない。

ところが、首を折らないというルールについて、「首を折るのは縁起が悪いから」という理由づけがなされることがある。ここに一つ問題がある。とはいうものの、よく考えてみれば、こういうことは折り紙以外でもよくある話で、もったいぶったいい方をすれば、ある言説が類推によって別の言説と結びつき、新しい言説が生まれ、それが繰り返される。「千羽鶴に黒を使ってはいけない」「首は願いがかなったら折る」といった言説も、これで説明できる。これを社会学的に研究すれば面白いかもしれないが、折り紙的な興味はないと思う。

もう一つ別の問題があって、首を折らないルールを受け入れる人と、それは変なルールだと考える人がいる。このルールを受け入れる人にとって、折り鶴は、鶴のアイコンではなく、健康・平和・成功などを表すシンボルであるから、それが鶴の外見に似ていることはあまり重要ではない。ところが、このルールを変だと感じる人は、千羽鶴の中の一羽一羽の折り鶴に対して、それが鶴に見立てられること、あるいは何らかの動物に見立てられることを求めている。しかしそれは、見立ての欲求が強すぎるというべきではないだろうか。


関連記事:

折り鶴を鶴に見立てるということ [/origami]

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羽鳥 公士郎