blog.鶯梭庵

二〇〇八年 皐月 廿九日 木曜日

折り紙における見立て・中央ではあるが中心ではない [/origami]

西川さんの見立て論を私なりに整理すると、折り紙とは、紙を折って作った幾何学的形状をほかの何かに見立てる芸術だ。

しかし、最近のいわゆる複雑系折り紙では、折った形を何かに見立てるのではなく、端的に欲しい形を折り出している。創作技術が発達したことによって、見立てを使うまでもなく「それに見える」ような、写実的な折り紙が現れてきた。舘さんの作品が典型的だが、神谷さん、北條さん、ジョワゼルさんらの作品がこの範疇にある。

折り紙が写実に向かうことで見立てから離れるとすると、その逆の方向もあり得る。つまり、抽象に向かうことで、紙を折って作った形状を、見立てなしでそのまま作品とする方向だ。

抽象折り紙にはさらに2つの方向性がある。「折り紙」の「折り」を重視する方向と「紙」を重視する方向だ。作品の中心は、前者では幾何学的操作としての折りであり、後者では物理的存在としての紙だ。前者の典型は前川さんの作品だが、ユニット折り紙の多くもここに含まれるだろう。後者の典型はコレイアさんやジャクソンさんの作品で、私が目指しているのもこの方向だ。

写実の側でも「折り」と「紙」との方向性の違いがある。舘さんが「折り」なら、ジョワゼルさんが「紙」だろう。

まとめると、次のようになる。折り紙の一方の極に写実があり、もう一方の極に抽象がある。見立てはその中間に位置する。しかし、その軸と直行する軸もあって、一方の極に「折り」があり、もう一方の極に「紙」がある。そして、さまざまな作品が、この2つの軸で規定される平面の中に連続的に分布している。

このように豊かな広がりを持った現代の折り紙において、「折り紙の本質は○○だ」という議論は、見立てにせよ何にせよ、意味を失っているのだと思う。私自身の今までの議論も、棚に上げる必要があるようだ。

さて、この見取り図を基に「折り紙的」という言葉について考えてみると興味深いが、それについては後ほど

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羽鳥 公士郎