二〇一四年 皐月 廿五日 日曜日■ 原発と核武装・その1 [/links]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 有馬哲夫著『原発と原爆』 原子力発電の是非については、特に福島第一原発事故の後、盛んに議論されているが、1つ抜け落ちている視点があるように思う。有馬が言うように、「原発は、単なる電力生産工場ではない。それは、・・・外交や安全保障とも深く結びついている。」もっとはっきり言えば、原発には「核武装との歴史的で分ち難い結びつき」がある。実際、原発が安全でなくコストも高いことがはっきりした今になっても日本政府が原発を再稼働しようとするのは、核武装の観点抜きには理解できない。 1954年3月、ビキニ環礁近くを航行していた第五福竜丸が死の灰を浴びた。これによって、日本では反核の世論が盛り上がり、それは反米運動に移行していた。日本に反米の気運が高まれば、当然ソ連が黙ってはいない。米国は日本の共産化を恐れた。 そこで、讀賣新聞の社主であり日本テレビの社長であった正力松太郎が原子力平和利用のプロパガンダを手伝うことを米国に申し入れるという動きもあったが、それについては有馬哲夫の『原発・正力・CIA』 米国側の動きとしては、広島に原発を作ろうという提案があった。これは結局実現しなかったわけだが、その理由の1つとして、米国が結ぼうとしていた協定の中で、発電で生じたプルトニウムの返還が条件となっていたことが挙げられる。広島で作られたプルトニウムを米国に戻して、それで核兵器を作ったのでは、かえって日本の反米感情を強めることになる。かといって、日本にプルトニウムの所持を認めるのは、安全保障上望ましくない。 正力はその後政界に入り、日本に原子力発電所を作るよう米国に働きかける。かつて NHK が、日本の原発は米国の働きかけでできたという趣旨の番組『原発導入のシナリオ』を放送したが、実際には、原発を望んだのは日本側だった。ところが正力は、米国に対し、協定の中からプルトニウム返還の条件を取り除くよう要求した。正力が本当に欲しかったのは、原発ではなくプルトニウムだったのだ。 米国は、もともと日本に原発を輸出するつもりもないのに、プルトニウムを返さないと言われたのでは、ますます日本に原発を売る気にはならない。そこで正力は、英国から原発を輸入する話を進めることで、米国にプレッシャーをかける。実際、日本は初めての原子炉を英国から輸入することになる。プルトニウムは、いったん英国で再処理されるが、両国協議の上日本が買い戻すことができるという条件だった。 その2に続く。 羽鳥さんのコメント: |
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