二〇一二年 霜月 十九日 月曜日■ ジョン・ケージ的な折り紙とは [/origami]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 今年はジョン・ケージ生誕 100 年に当たり、ケージの演奏を耳にする機会が多い。15日にも、大井浩明の演奏で『一人のピアニストのための34分46.776秒』と『易の音楽』を聞いた。すばらしい演奏であったと同時に、ケージ的な折り紙があるとしたら、それはどのようなものだろうかと考えた。 ケージと折り紙については、以前折紙探偵団のウェブサイトに書いたことがある。その文章を改めて読み返してみて、変更の必要性は感じなかったが、明確化しておきたい点(私自身、第1章を書いたときには誤解していた点)に気がついた。 『一人のピアニストのための34分46.776秒』と『易の音楽』は、偶然性を用いて作曲されている。『易の音楽』では、その名が示唆する通り、すべての音響が易経によって決められている。しかし、できあがる曲は全くでたらめではなく、どこを聞いても確かにケージの音楽になっている。それはなぜかといえば、ケージは構造を完全に捨て去ってはいないからだ。ただ、ケージの構造が、モーツアルトやベートーベンの構造と異なっているにすぎない。 ケージにとっての構造は、音高ではなく、時間に基づいている。例えば『一人のピアニストのための34分46.776秒』は、3-7-2-5-11 というリズム構造を持っており、各楽章の長さも同じ比率になっている。ケージは、どのような音を使うかを定め、リズムを定め、そうしてできた構造の中に、偶然によって音をはめ込んでゆく。 演奏家が全く音を出さないことで有名な『4分33秒』でさえも、構造は残されている。その証拠に、この曲は3つの楽章から構成されている。構造が残っているだけでなく、音も残っている。演奏家が音を出さなくても、音はそこにある。その音を時間に基づいて構造化することを、ケージは演奏家に対して求めている。それゆえ、『4分33秒』は確かに音楽作品なのだ。 音楽には、音が必要であり、音の構造が必要だ。そう考えると、『4分33秒』に相当する折り紙は、『風呂敷』のような折らない折り紙ではない。『風呂敷』は折り紙作品ではない。折らない折り紙は、折り紙ではないからだ。折り紙である以上、折りがなくてはならず、折りの構造がなくてはならない。 とはいえ、ケージは構造をできるだけ切り捨てようとした。ケージが折り紙をしたとすれば、設計折り紙のような折りの構造は切り捨てられるだろう。ただし、構造を減らすことは、折りの数を少なくすることとは別だ。『4分33秒』に相当する折り紙作品は、例えば、紙をくしゃくしゃに丸めて折り目を付けるというようなものになるのだろう。あるいは、師であるシェーンベルクから「作曲家とは言えないが天才的な発明家」と評されたケージであれば、偶然性によって折りをはめ込んでゆくことができるような構造を発明したかもしれない。 |
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