blog.鶯梭庵

二〇〇九年 弥生 廿九日 日曜日

録音された音楽を聞くということ [/music]

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宮下誠著『カラヤンがクラシックを殺した』を読んだ。カラヤンの音楽には以前から毀誉褒貶があるが、この本での非難の矛先は、カラヤンの音楽そのものよりも、カラヤンに代表される価値観に向けられている。それは、拝金主義であり、現状肯定主義であり、世界苦に対する知的無関心だ。

そのような価値観に安住する凡庸な「大衆」に対する非難については、私も大いに同意する。表層的で「美しい」音楽ばかりが鳴り響いている現状に対しては、それだけが音楽ではない、音楽はそれ以上のものだと叫びたい。

しかし、この本を読み進めていると、拭いがたい違和感を感じる。それは、宮下が、録音された音楽について延々と書き連ねていることに起因している。音楽、特にオーケストラの音楽を録音で聞いたところで、音楽の楽しみの半分も享受できるだろうか。「大衆」化に対抗する「真正なる芸術」が、録音から聞き取れるだろうか。

クラシックに限らず、一般に音楽を録音で聞くというのは、絵画を実物ではなく写真で見るのと同様、疑似体験である。しかし、演奏会場に足を運ぶだけの時間的・金銭的余裕のある人は限られていることも事実だ。音楽を生で聞けない人たちのために録音がある。とすれば、音楽を録音するということは、音楽の大衆化と必然的に結びつく。

カラヤンは、音楽の録音にきわめて意識的かつ積極的だった。真偽のほどは知らないが、CD の録音時間が74分になったのは、カラヤンが振る第九が1枚に収まるようにするためだったという話があるくらいだ。それならば、カラヤンは意識的に音楽を大衆化したのではないだろうか。カラヤンがクラシックを殺したというなら、録音がクラシックを殺したといっても同じことに思われるのだが、しかし宮下が、クレンペラーとケーゲルの録音された音楽を数多く取り上げ賞賛していることに、大きな違和感を感じる。

日常的に音楽を聞く人は多いが、日常的に生の音楽を聞く人は少ない。日常的に生のクラシック音楽を聞く人は、さらに少ない。一握りの特権階級しか享受していないとしたら、それが真正の芸術だといっても、どんな意味があるだろうか。芸術がコミュニケーションだとしたら、受け手を考慮せずに自分の言いたいことを言うだけの表現は、独りよがりでしかない。それよりは、クラシック音楽を大衆化してでも、聴衆の裾野を広げたカラヤンの方に、意義を認めるべきではないだろうか。もちろん、カラヤンのクラシックだけが、あるいは録音されたクラシックだけが、クラシックではないと急いで付け加えなければならないが、大衆化されたクラシック音楽でも、何もないよりはましだ。

カラヤンが演奏するさまざまな曲からアダージョだけを集めた CD は、確かに陳腐だが、これで初めてクラシック音楽に触れたという人が数万人いるとすれば、それはそれでよいことなのではないか。


このブログでも、今までは私が生で聞いたコンサート評だけを書いて、CD 評はあえて書かなかったのだが、現代音楽を聞く人の数はクラシック音楽よりもさらに少ないことを考えれば、「聞きやすい」現代音楽の CD を紹介するのも無意味なことではないと思うようになった。今後は CD 紹介も書こうと思う。

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羽鳥 公士郎