二〇〇七年 卯月 廿六日 木曜日■ クラシックと現代音楽・その1 [/music]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 宮下誠著『20世紀音楽 クラシックの運命』を読んだ。クラシックとは何か、現代音楽とは何か、と改めて考えさせられた。 この本は、20世紀のクラシック音楽を俯瞰しようとするものだが、紹介されている作曲家や作品には、偏りがあるように思う。まず、独墺圏の作曲家に多くの紙幅が割かれている。また、ほとんどが交響曲やオペラといった「重厚長大」な作品で占められている。そして、いわゆる「現代音楽」よりも「クラシック音楽」に重点が置かれている。 この理由は、おそらく2つある。まず、筆者は、音楽の専門家ではなく、美術史家であり、20世紀のドイツ語圏の美術を専門としている。そのために、ドイツ・オーストリアの作曲家が詳しく描かれ、また解説の書きやすい交響曲やオペラが取り上げられているのだろう。 次に、筆者はどうやら CD や DVD に音源を頼っているらしい。録音されたものは、商業的に販売されなければならないから、1曲当たりの商品価値が高い長大な曲に、必然的に偏ることになる。(何しろ、1曲で CD 2枚というのもざらにあるのだから、CD を作る側としても楽だ。)また、いわゆる現代音楽の中には、録音で聞いたのではさっぱり意味が分からず、生演奏を聞いて(かつ見て)初めて楽しめるものも多い。 しかし、それよりも大きな問題が、この本の選曲に潜んでいるように思う。この本で取り上げられているのは、クラシック音楽と言うよりは、アカデミックな音楽と言うべきではないだろうか。 ジュゼッペ・ベルディのオペラやヨハン・シュトラウスのウインナワルツがクラシック音楽に含まれることに異論をはさむ人は少ないだろう。では、『アイーダ』のようなスペクタクル・オペラに相当する 20世紀の芸術は何かといえば、ハリウッド映画にほかならないと私は思う。リヒャルト・ワーグナーの『指輪』に相当するものは、カールハインツ・シュトックハウゼンの『リヒト』というよりは、ジョン・ウィリアムズの『スターウォーズ』だという方が適当だろう。また、シュトラウスに相当する 20世紀の作曲家といえば、アストル・ピアソラ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ユッスー・ンドゥール、坂本龍一などを挙げるべきだろう。 とすれば、映画音楽やタンゴやボサノバも、20世紀クラシック音楽の仲間に入れてあげなければならない。特に映画音楽は、セルゲイ・ラフマニノフやセルゲイ・プロコフィエフ、エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルトなどを経由して、19世紀のクラシック音楽と直接つながっている。そうなれば、クラシック音楽が「黄昏れて」いるなどとは決して言えないはずだ。「終わって」いると言われるのは、クラシック音楽一般ではなく、コンサートホールやオペラハウスで演奏されるアカデミックなクラシック音楽であって、それは 20世紀に作曲されたものに限らず、18世紀や 19世紀に作曲されたものもひっくるめて「黄昏れて」いるのである。しかしそれは、単に、20世紀には娯楽の選択肢が増えたからではないだろうか。 さて、このようにクラシック音楽を広くとらえたときに、その中にいわゆる現代音楽も含まれるわけだが、では、現代音楽とは何なのだろうか。この記事はすでに長くなってしまったので、その2に続く。 |
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