二〇〇五年 葉月 廿七日 土曜日■ サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNo.29(管弦楽) [/music]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 今回のテーマ作曲家はサルヴァトーレ・シャリーノ。演奏はティート・チェッケリーニ指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。 最初の曲はシャリーノの「ハリー・パーチ以後の傾向」(2000)。ピアノ独奏はニコラス・ホッジズ。何やら論文の題名のような曲名だが、曲は分析的ではなく、さりとて叙情的というわけでもなく、余計なものが徹底的に取り除かれた、微細な音の動きが続く。ピアノも普段はぽつぽつと和音を奏でるだけだ。この動きの上に、ときどき大きな音が加えられることによって、音と音とのあいだから音楽の流れが生じる。 2曲目はルイジ・ノーノの「建築家C.スカルパ、その無限の可能性に寄せて」(1984)。通常のオーケストラよりも弦楽奏者が少なく、後ろにはトライアングルが5人並んでいる。トライアングルも含め、各楽器の音程が微妙にずらされており、微小音程の効果が活かされていた。静寂の中から音が立ち上がり、また静寂に戻る。これを何度も繰り返し、最後は長い静寂で曲が閉じられる。繊細な響きと、それを活かす間の取り方が見事だった。 3曲目はステファノ・ジェルヴァゾーニの「導音」(1989)。ほかの3作品と比べると音の密度が濃い。打楽器奏者はホースを振り回し、バイオリン奏者は口琴も演奏するなど、伝統的な楽器でない楽器も多用されているが、決してコミカルな印象にはならない。注目すべき作曲家だと思う。 最後の曲はシャリーノの「シャドウ・オブ・サウンド」(2005・世界初演)。音の動きはさらに研ぎ澄まされ、1つの音のまわりに、聞こえるか聞こえないかのかすかな音が積み重ねられる。音は流れてゆかずに、常にその場にとどまっているのだが、しかし常に新しい響きを生み出す。 4曲とも、演奏家の力量に左右される音楽だと感じたが、演奏はすばらしかった。 |
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