blog.鶯梭庵

二〇一一年 師走 廿四日 土曜日

算数における掛け算について [/links]

この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。

「5人が鉛筆を3本ずつ持っています。鉛筆は全部で何本ありますか。」という問題に対して、5×3=15 は不正解で 3×5=15 が正解とされる場合がある。これに対して批判する意見も擁護する意見もあるが、私が目にしたかぎりでは、いずれの立場からの意見も考察が不十分であるように思う。

まず、多くの批判派は「こんなこと自分が小学生ときは習わなかった」と言うが、それはおそらく事実として違う。昔から、小学校の算数には「掛ける数」と「掛けられる数」の区別がある。そして、掛け算は「掛けられる数×掛ける数=答え」と書くことになっている。私もそう習った記憶がある。

そう言うと、批判派は「a×b=b×a」という数学の法則を持ち出すだろう。掛け算では順番は関係ないではないか、というわけだ。それに対する擁護派の反論は、答えの数が同じでも、答えの単位が異なるということだ。擁護派は言う。答えの単位は掛けられる数の単位に一致する。「5人×3本=15人」であり、「3本×5人=15本」である。したがって、前者の式で「15本」と答えるのは不正解だ。

しかし、この説明は間違っている。「人」と「本」を掛けたら、答えの単位は「人本」になるはずだ。例えば、「時速4kmの速さで2時間歩きました。何km歩きましたか。」という問題なら、4km/時×2時=8kmとなるが、ここで単位だけに注目すると、km/時×時=kmとなって、つじつまが合う。あるいは、「縦の長さが4cm、横の長さが2cmの長方形の面積は何平方cm2ですか。」という問題でも、単位を見るとcm×cm=cm2となっている。

この場合、掛け算の順序をひっくり返せることに注意してほしい。つまり、4km/時×2時=2時×4km/時=8kmであり、4cm×2cm=2cm×4cm=8cm2である。したがって、4×2=8 が正解で 2×4=8 が不正解という理屈は成り立たない。こういう場合は、「掛ける数」と「掛けられる数」の区別は意味を持たないし、掛け算の順序に関係なく正解としなければおかしい。

では、鉛筆の問題では、単位はどうなっているだろうか。ここで2つの考え方が可能だ。1つは、5人が1人あたり3本の鉛筆を持っているという考え方で、「3本/人×5人=15本」となる。もう1つは、3本を1まとめにして、それが5つあるという考えで、「3本×5=15本」となる。

前者の考えでは、速さや面積と同じように、掛け算の順序をひっくり返すことができる。つまり、「5人×3本/人=15本」としてよい。この場合は、「掛ける数」と「掛けられる数」の区別は意味を持たない。高校以上の数学になじんでいる人は、たいていこちらの考え方をする。批判派が、順番が逆になると不正解というのはおかしいと感じるのは、多くの場合このためだろう。

一方、小学校の低学年で教えられるのは後者の考えだ。ここで、掛ける数が無単位になっていることに注意してほしい。答えの単位が掛けられる数の単位と一致する以上、掛ける数は無単位でなければならない。つまり、この掛け算は、本数と人数を掛けているのではない。掛けられる数は本数であるが、掛ける数は人数ではない。「3本×5人=15本」は誤りなのだ。

では、掛ける数とは何か。「3本×5=15本」というのは、実は「3本+3本+3本+3本+3本=15本」の省略形なのである。掛ける数とは、同じ数をいくつも足し算するときの、足される数の個数なのだ。だから、掛けられる数には単位があるが、掛ける数には単位がない。このように、掛ける数と掛けられる数は性格が大きく違う。

そこで擁護派はこう言うだろう。「3×5=15」は「3本+3本+3本+3本+3本=15本」の省略形であるのに対し、「5×3=15」は「5人+5人+5人=15人」の省略形だ。したがって、前者が正解であるのに対し、後者は不正解である。

しかしそれは、「掛け算は『掛けられる数×掛ける数=答え』と書く」という規則を前提としている。「5×3=15」を「掛ける数×掛けられる数=答え」と見れば、「5×3本=15本」であり、何の問題もない。言い換えれば、「5×3=15」を「5人+5人+5人=15人」ではなく「3本+3本+3本+3本+3本=15本」と解釈して悪い理由は何もない。

結局のところ、掛け算の順番を問題にする教師は、掛ける数と掛けられる数の区別が理解できているかどうかをテストで見るために、「掛け算は『掛けられる数×掛ける数=答え』と書く」という規則を導入して、その通りに書いてあれば理解していると判断し、逆になっていれば理解していないと判断していることになる。これはもちろん、評価方法として適切ではない。掛ける数と掛けられる数の概念を理解していることと、掛ける数と掛けられる数のどちらを先に書くかということは、本来は関係がない。

私が思うに、掛ける数と掛けられる数の違いを小学生に教えることそのものに無理がある。もちろん教えてもよいのだが、それならば「3本×5人=15本」などという間違った説明をしてはいけない。しかし、掛けられる数には単位があるが掛ける数は無単位だ、などということを理解できる小学生がどれだけいるだろうか。それが無理なので、「掛け算では、最初の数を『掛けられる数』といい、後の数を『掛ける数』という」というような教え方しかできない。だから、順番を逆にすると不正解にする。そんな教え方は無意味だ。


2011年12月26日追記

仮に「掛け算は『掛けられる数×掛ける数=答え』と書く」という規則を受け入れたとしよう。その場合でも、「5人の人に鉛筆を3本ずつ配ります。鉛筆は全部で何本いりますか。」という問題なら、どちらの順序でも正解となる。最初の人に3本配り、次の人に3本配り、というように配れば、3本ずつの組を5つ作ることになるから、答えは「3本×5=15本」となるが、5人の人に鉛筆を1本ずつ配り、それを3回繰り返すという配り方なら、5本ずつの組を3つ作るのだから、答えは「5本×3=15本」となる。なるほど、このような配り方は不自然かもしれないが、トランプならごく自然な配り方だし、不自然であることは不正解の理由にはならない。

積分定数さんのコメント:
 初めまして。かけ算の順序について調べているものです。

>多くの批判派は「こんなこと自分が小学生ときは習わなかった」と言うが、それはおそらく事実として違う。昔から、小学校の算数には「掛ける数」と「掛けられる数」の区別がある。そして、掛け算は「掛けられる数×掛ける数=答え」と書くことになっている。私もそう習った記憶がある。

 これに関しては、文科省に電話して聞きましたが、特にそのように教えるように定められているわけではないとの回答でした。私も含めて「俺は習わなかった」という人は多いのです。もちろん記憶にないだけの可能性もありますが、「最初は指導書通り順序を一生懸命教えていたが疑問に思えてきて、中学から赴任してきた数学専門の教師に質問したら『順序指導に意味はない』との回答だったので、うるさく言うのはやめた」という教師もいます。
 だから、全員がそのように教わっているわけではないことは確かです。量的にどの程度なのかはまだ調査中で不明なことが多いです。


mixi算数「かけ算の順序」を考える
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118

算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考えるhttp://suugaku.at.webry.info/

羽鳥さんのコメント:
積分定数さん、コメントありがとうございます。
「おそらく事実として違う」と想像で書いてしまいましたが、事実である場合も多いのですね。教えてくださり、ありがとうございます。

midoka1さんのコメント:
これは理科で云う「キリンの首は高い木の葉を食べやすいように長くなった」という目的論を否とする考え方と一脈通じているということに今気がつきました。5人の生徒に3本ずつ配るというのは「現実世界、現象世界、在存」なのです。算数を二次関数の習得を必須とする数学の下部世界と考えるなら、事の初めから「存在論」をたたき込むべきだとなったのでしょう。「存在」ならば「結果、事実」だけを問題とするのですから「一人目には3本、次の人には・・・」と考えていくことになります。
「キリンの首が長い」と言う事実と「キリンは高い木の葉を食べやすい」という事実には相関はあっても因果関係を認めてはいけないのが「存在論」です。もちろんダーウインもルース・ベネディクトも第一に存在論者です。それと創世記の真偽問題は独立です。ご参考までにhttp://d.hatena.ne.jp/midoka1/20120316

羽鳥さんのコメント:
midoka1さん、コメントありがとうございます。
「存在論」は関係ないと思います。1人に3本ずつ5人分配る配り方も、1回に5本ずつ3回配る配り方も、現実世界の中で可能であり、どちらも存在しています。一方、「キリンの首は高い木の葉を食べやすいように長くなった」というのは、現在知られている生物のからだの仕組みから考えると不可能ですから、否定されています。
もちろん、まだ知られていない仕組みによって獲得形質の遺伝が起こる可能性を完全に否定することはできませんが、それを証明するのは、鉛筆を1回に5本ずつ3回配るように簡単にはできません。

ついでに言えば、数学は存在論に基づいていないというのが私の持論です。話すと長くなりますが、そのうちこのブログに記事を書くかもしれません。

[このカテゴリをまとめて読む。] [最新の記事を読む。]

RSS feed

カテゴリ

[/language] (98)
[/links] (254)
[/mac] (114)
[/music] (36)
[/origami] (406)
[/this_blog/ajax] (7)
[/this_blog/blosxom] (4)
[/this_blog/history] (12)
[/this_blog/perl] (9)

最新記事

パスワードについてのあなたの常識はもはや非常識かもしれない・その1 [/links]
ニューラルネットワークとディープラーニングで翻訳はどうなる・その5 [/language]
ニューラルネットワークとディープラーニングで翻訳はどうなる・その4 [/language]
HTTPS 対応 [/links]
ひらがな・カタカナ学習ウェブアプリ [/links]
日本語の「た」と英語の過去形 [/language]
ORI-REVO で回転楕円体を折る・その2 [/origami]
ORI-REVO で回転楕円体を折る・その1 [/origami]
折り紙建築 [/origami]
折鶴に松図小柄 [/origami]
改訂版・たぶん、ほとんどの人は viewport meta タグの指定をまちがえてる・その6 [/links]
改訂版・たぶん、ほとんどの人は viewport meta タグの指定をまちがえてる・その5 [/links]
改訂版・たぶん、ほとんどの人は viewport meta タグの指定をまちがえてる・その4 [/links]
改訂版・たぶん、ほとんどの人は viewport meta タグの指定をまちがえてる・その3 [/links]
改訂版・たぶん、ほとんどの人は viewport meta タグの指定をまちがえてる・その2 [/links]

羽鳥 公士郎