二〇〇六年 卯月 七日 金曜日■ 踏んだり蹴ったり [/language]この記事は書かれてから1年以上経過しています。内容が古くなっている可能性があります。コメントの受付は終了しました。 先日、「負けず嫌い」はおかしいと指摘してくれた友人が、「踏んだり蹴ったり」もおかしいのではないかと言っていた。被害を受けたときに使うのだから、「踏まれたり蹴られたり」ではないかというのだ。 その友人が調べたところでは、初めは能動の意味で使われていたのがいつしか受動になったとか、悪い物を自分が踏んだり蹴ったりする意味とかという説があるそうだが、よく考えてみると、どちらの説も誤っていると思う。 「踏んだり蹴ったりだった」とは言えるが、「踏んだり蹴ったりした」とも「踏んだり蹴ったりされた」とも言えない。ということは、「踏んだり蹴ったり」というのは、動作を表す言葉ではなく、状態を表す言葉だ。動作でない以上、能動も受動もないし、自分が何かをするわけでもない。 「踏んだり蹴ったり」が状態だというのは、「踏んだり蹴ったりの目に遭った」または「踏んだり蹴ったりな目に遭った」という言い方があることからも分かる。これを「半殺しの目に遭った」「散々な目に遭った」などと比べてみれば、はっきりするだろう。「半殺され」と言えないのと同じように、「踏まれたり蹴られたり」とも言えない。 別の言い方をすれば、「踏んだり蹴ったり」といったところで、誰かが私を踏んだり蹴ったりしたということでもなければ、私が何かを踏んだり蹴ったりしたということでもない。私の周りの世界が自然に踏んだり蹴ったりの状態になってしまったのである。「踏んだり蹴ったり」は、形式的には他動詞であるが、実質的には自動詞ないし形容詞だと言える。 その逆の例もある。「雨が降る」の「降る」は、形式的には自動詞であるが、「雨に降られる」という言い方ができるから、実質的には他動詞であると言える。雨が、自らの意志で、私に対して、降るのである。 |
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