blog.鶯梭庵

二〇〇六年 皐月 十四日 日曜日

高速道路論の続き

以前、梅田望夫氏のブログ英語で読むITトレンドから、インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞という記事を紹介したことがある。(その後、同ブログで逆に紹介された。)

最近、同氏のウェブ進化論で読んだのだが、羽生氏は、大渋滞を抜け出す方法として聴覚や触覚など人間ならではの感覚を総動員して、コンピュータ制御では絶対にできない加工をやってのける旋盤名人の技術のようなものに興味を持っているのだそうだ。これもまた、折り紙にあてはまると思う。

折り紙において、インターネットによって高速道路が敷かれたが、それ以前には、本という国道があった。高速道路と国道との違いは、スピードがどれだけ出せるかということであって、行き着く先に渋滞があることには変わりがない。国道であれば、渋滞地点までたどり着くまでに一生の大半を費やしてしまうかもしれないが、高速道路であれば数年で渋滞地点に行ける。本がインターネットに替わったことで、何が変わったかといえば、渋滞地点にたどり着くのが容易になったこと、そして、そのために、渋滞が大渋滞になったことである。

では、その大渋滞を抜けるにはどうすればよいかといえば、人間ならではの感覚を総動員して、コンピュータにはできないことをすればよいのである。折り紙の場合は、実際に紙を折るなり、折られた紙としての作品を見るなりして、素材としての紙と技法としての折りとを、五感の全てで体感することになる。結局のところ、折り紙とは紙を折ることなのだから、現実の紙と現実の折りとにこだわることによってしか、先に進むことはできない。

このようなことは、折り図にも展開図にも描けないし、写真で見せることもできない。高速道路であろうと、国道であろうと、そこで見ることのできるものは、折り図であったり展開図であったり写真であったりする。しかし、それは干からびた魚でしかない。デジタルであろうとアナログであろうと関係はない。折り紙は、メディアに載ってしまえば、干からびてしまう。干からびた魚を見ているだけでは、遅かれ早かれ行き詰まることになり、そこで渋滞が発生する。渋滞を抜けたいと思ったら、海に潜ればよいのだ。本もコンピュータも捨てて、紙を手に取ればよい。本物の魚はそこにいるのだから。

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