blog.鶯梭庵

二〇〇五年 神無月 二日 日曜日

折り紙の中の西洋

折り鶴は間違いなく日本で生まれたのだろうが、折り鶴を折るときに、何も考えずに市販の折り紙用紙を使っていながら、「折り紙は日本の文化だ」などというのは、やめた方がいい。折り紙用紙のほとんどは洋紙ではないか。

日本の折り紙は、和紙文化の中から生まれたものだ。江戸時代に日本で生まれた折り紙作品の中には、洋紙でうまく折れないために、現代に伝承されていないものがある。洋紙の「折り紙用紙」が広く使われるようになったために、大正時代以降の折り紙は大きな変化を余儀なくされた。

洋紙と和紙の違いには、敏感になるべきだ。折り鶴を洋紙で折るときに、子供が遊びで折るのならどう折っても構わないが、本格的に折ろうとするなら、江戸時代に和紙で折っていた折り方と同じように折って済ませられるわけがない。和紙で折るときの折り方と、洋紙で折るときの折り方は、おのずから違ってくるはずだ。それは、微妙な違いかもしれないし、はっきり分かる違いかもしれない。羽ばたく鳥や、いわゆる韓国式折り鶴は、折り鶴を洋紙で折ろうとしたときにできたものであろうと私は考えている。

現在では、折り紙には洋紙を使うことが多い。それに加えて、現在伝承されている作品には、ヨーロッパで生まれて明治時代以降に日本に伝わったものが少なくない。ヨーロッパにも折り紙の伝統があるということは、あまり知られていないが、疑いようのない事実である。折り紙というのは、日本の文化ではなく、日本文化と西洋文化の雑種である。(中国や韓国に、日本やヨーロッパと同じぐらい古い折り紙の伝統があるかどうかは、私は寡聞にして知らない。)

日本人が折り紙を本格的に折ろうとしたときに求められることは、現代の折り紙に流れる日本の血と西洋の血の両方を意識した上で、日本人としてどう折り紙に向き合うかということを考えることであろう。

コメント (1件)

私の父がもう60年近く和紙を折っていて、和紙で折ったものには角でなく隅があり、それに対して洋紙の角はたまらなくシャープ、というようなことを言っています。うまく表現できませんが和紙のほうが概して包容力があるような気がします。ただ、値が高い、手を出しにくくなる、需要が減る、ますます値段が上がる、あるいは作り手が減る、質が落ちる、など、和紙が遠いものになってきている現状をどうしたものかと思うのですが。

紙の文化の交流は大変興味深いテーマで、書籍や絵画の中にヒントがないかと目を凝らして見ています。「雑種」の方が個人的には「血統書付き」より好きです。

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