二〇〇六年 水無月 十二日 月曜日
Peterpaul Forcher 追悼
ニック・ロビンソンさんが origami-l で伝えているが、オーストリアの Peterpaul Forcher(ペーターパウル・フォルヒャーと読むのだと思う)が亡くなった。ザルツブルクの Masters of Origami 展にも参加していたので、私も顔を拝見したことがあるはずだが、残念ながら話す機会はなかった。慎んでご冥福をお祈りする。
Forcher の作品は、笠原邦彦さんが著書の中でいくつか紹介しているが、一般的にはあまり知られていないかもしれない。シンプルなシルエットで端正に表現された動物折り紙は、Edwin Corrie に大きな影響を与えた。
以前 Clemens Domanig のウェブサイトで作品が紹介されていたが、そのサイトはなくなっている。Internet Archive に画像がいくつか残っているが、折り図は残っていないようだ。Gilad Aharoni のサイトにも山羊
や鸚鵡
の画像がある。また、Carmen Sprung のサイトに折り図がいくつかある。この中では狐
(1999年)が最もよいと思う。
二〇〇六年 水無月 三日 土曜日
origami-l お引っ越し
折り紙のメーリングリスト origami-l は、これまで MIT のサーバで運用されていたが、そのサーバが老朽化したため、引っ越した。
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二〇〇六年 水無月 一日 木曜日
おつかれさま、FreeHand
折り紙の折り図を描くためのソフトウェアとしては、ジョン・モントロールさんや吉野一生さんが折り図を Mac で描き始めてからこのかた FreeHand が定番だが、Macromedia を買収した Adobe は、FreeHand の開発を中止することにしたそうだ。
Abandon de Golive et FreeHand @ MacGeneration
Goodbye to Freehand, GoLive @ Macsimum News
FreeHand は もともと Altsys が開発し、1988年に Aldus から発売された。そのときから Adobe Illustrator と競合していたが、1994年に Adobe が Aldus を買収しため、いったん Altsys の手に戻り、その後すぐに Macromedia が Altsys を買収した。
私が FreeHand を使い始めたときは、すでに Macromedia FreeHand になっていたが、書店には Aldus FreeHand の解説本もまだ並んでいた。当時、FreeHand や Illustrator を使うような DTP の分野では Mac が標準で、折り紙人はほとんどが Mac を使っていた。今でも折り紙界に Mac ユーザが多いのは、そのためだ。
今後 FreeHand の引き取り手が現れなければ、FreeHand はその生涯を閉じることになり、折り紙人は Illustrator で折り図を描くことになるのだろう。
2006年6月2日追記 macnews.de およびMACお宝鑑定団が伝えるところによると、近い将来 FreeHand がなくなることはないそうだ。
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二〇〇六年 皐月 十四日 日曜日
高速道路論の続き
以前、梅田望夫氏のブログ英語で読むITトレンドから、インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞という記事を紹介したことがある。(その後、同ブログで逆に紹介された。)
最近、同氏のウェブ進化論で読んだのだが、羽生氏は、大渋滞を抜け出す方法として
聴覚や触覚など人間ならではの感覚を総動員して、コンピュータ制御では絶対にできない加工をやってのける旋盤名人の技術のようなもの
に興味を持っているのだそうだ。これもまた、折り紙にあてはまると思う。
折り紙において、インターネットによって高速道路が敷かれたが、それ以前には、本という国道があった。高速道路と国道との違いは、スピードがどれだけ出せるかということであって、行き着く先に渋滞があることには変わりがない。国道であれば、渋滞地点までたどり着くまでに一生の大半を費やしてしまうかもしれないが、高速道路であれば数年で渋滞地点に行ける。本がインターネットに替わったことで、何が変わったかといえば、渋滞地点にたどり着くのが容易になったこと、そして、そのために、渋滞が大渋滞になったことである。
では、その大渋滞を抜けるにはどうすればよいかといえば、人間ならではの感覚を総動員して、コンピュータにはできないことをすればよいのである。折り紙の場合は、実際に紙を折るなり、折られた紙としての作品を見るなりして、素材としての紙と技法としての折りとを、五感の全てで体感することになる。結局のところ、折り紙とは紙を折ることなのだから、現実の紙と現実の折りとにこだわることによってしか、先に進むことはできない。
このようなことは、折り図にも展開図にも描けないし、写真で見せることもできない。高速道路であろうと、国道であろうと、そこで見ることのできるものは、折り図であったり展開図であったり写真であったりする。しかし、それは干からびた魚でしかない。デジタルであろうとアナログであろうと関係はない。折り紙は、メディアに載ってしまえば、干からびてしまう。干からびた魚を見ているだけでは、遅かれ早かれ行き詰まることになり、そこで渋滞が発生する。渋滞を抜けたいと思ったら、海に潜ればよいのだ。本もコンピュータも捨てて、紙を手に取ればよい。本物の魚はそこにいるのだから。
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二〇〇六年 皐月 十日 水曜日
グループ展のお知らせ
5月22日(月)から 27日(土)まで Gallery 銀座一丁目 で開かれる秘密の花園展に出展する。27日のみ在廊の予定。
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