blog.鶯梭庵

二〇〇六年 水無月 十二日 月曜日

Peterpaul Forcher 追悼

ニック・ロビンソンさんが origami-l で伝えているが、オーストリアの Peterpaul Forcher(ペーターパウル・フォルヒャーと読むのだと思う)が亡くなった。ザルツブルクの Masters of Origami 展にも参加していたので、私も顔を拝見したことがあるはずだが、残念ながら話す機会はなかった。慎んでご冥福をお祈りする。

Forcher の作品は、笠原邦彦さんが著書の中でいくつか紹介しているが、一般的にはあまり知られていないかもしれない。シンプルなシルエットで端正に表現された動物折り紙は、Edwin Corrie に大きな影響を与えた。

以前 Clemens Domanig のウェブサイトで作品が紹介されていたが、そのサイトはなくなっている。Internet Archive に画像がいくつか残っているが、折り図は残っていないようだ。Gilad Aharoni のサイトにも山羊鸚鵡の画像がある。また、Carmen Sprung のサイトに折り図がいくつかある。この中では(1999年)が最もよいと思う。

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二〇〇六年 皐月 六日 土曜日

David Huffman の折り紙

今週の折紙探偵団関西コンベンションで、ロバート・ラングさんが David A. Huffman の折り紙を紹介していた。ラングさんは最近 Huffman の折り紙ノートを調査しているそうで、講演の中でも取り上げていたほか、Huffman の創作法に基づく作品を展示していた。

Huffman の専門はコンピュータ科学で、彼の作った Huffman code は、その世界で知らない人はいない。彼の折り紙も特筆すべきものであるが、こちらの方は、折り紙界にあまり知られていないかもしれない。そこで、作品の写真があるサイトにリンクを張ろうと思ったら、サイトが引っ越し中だそうだ。私が George Washington 大学に在学中、美術館学の授業で折り紙展のプランを作成したときに使った写真を掲載しておく。

David Huffman の折り紙

彼の作品には、折り目が直線のものもあるが、私が知っているものについて言う限り、正直言ってあまり面白くない。しかし、曲線で折っているものは優れている。私も曲線折りは少し試したことがあるが、ランダムな曲線で折っても、きれいな曲面はなかなかできない。ところが、Huffman の曲線は数学的に決定されているから、折ったときに自然な曲面ができる。

曲線折りは今後さらに追求するべき分野だと思うが、そのときには、Huffman の作品が基準点となるだろう。

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二〇〇六年 卯月 廿四日 月曜日

ユニット折り紙で糊を使うことについて

ユニット折り紙のユニットには、必ずと言っていいほど、ポケットと継ぎ手があって、継ぎ手をポケットにさし込むだけで、糊を使わずに組めるようになっている。折り紙一般について、はさみを使うことが好ましくないと考えられているように、ユニット折り紙では、糊を使うことは好ましくないと考えられているようだ。

糊を使わずにユニット同士を固定しようとすれば、摩擦力によって固定することになる。しかし、紙と紙を重ねただけでは、十分な摩擦力は生じない。ユニット折り紙が糊を使わずに形を保てるのは、紙が折られているからにほかならない。ユニット折り紙では、十分な摩擦力が得られるように紙を折る。つまり、紙を組むために折るということになる。

しかし、それだけでは、折りが手段にとどまっている。しっかり組めるユニットができたとして、それを組んで何かを作ったとしても、造形の主な手段が組みであって、折りはユニット同士を固定するという副次的な効果しか持たないとすれば、ユニット同士を糊付けしても、結局同じことではないか。造形の主な手段は相変わらず組みであって、ユニット同士を固定する手段として糊を副次的に使うわけだ。ユニット折り紙における折りが、糊と置き換えることができるようなものであって、造形の主眼が組みにあるのであれば、組みの手段が折りであろうと糊であろうと、どちらでもかまわない。その場合、糊を使わずに折るだけで組めるというのは、折り紙の中から見れば大事なことのように思えるかもしれないが、折り紙の外から見れば、単なる自己満足でしかない。折ることに必然性がなければ、折る意味はない。

吉澤章は、折り紙読本 Iの中で、貼り合わせたり組み合わせたりしてからはじめて個性の出るものは、複合形にはちがいないが折り紙とはいいがたいので、そういうものはモザイクであり、単なる紙細工ではないかと思います。と言っている。私もそれに賛成する。ユニット折り紙が、糊を使わず、折りだけで組めるとしても、それは折り紙であるための十分条件にはならない。

では、ユニット折り紙が折り紙であるためには、何が必要なのか。そもそも折り紙とは、はさみや糊を使ってもよいが、折らなければできない形、はさみと糊だけでは作れない形を目指すべきものだ。だから、ユニット折り紙における折りは、第一に造形の手段であるべきだ。折りがユニットを固定できるかどうかは、それに比べれば重要ではない。紙を折ることではじめて可能な造形があって、それがたまたま同じユニットを組み合わせて作るときに、ユニット折り紙と呼ばれるのである。したがって、糊を使わなければ固定できないユニット折り紙というものもあってよい。

例えば、Richard SweeneyIcosahedronDodecahedron は、おそらく糊を使っていると思うが、それでもやはり素晴らしいユニット折り紙だと思う。

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二〇〇六年 如月 十一日 土曜日

疑似立体折り紙と立体折り紙

古い話題を蒸し返すけれども、以前、小松さんの fold/unfold で、小松さんの作品は平面的かという話題があった。そのとき私は、小松さんの作品は、互いに等価値な平面の集まりと捉えることができるかもしれません。そうすると、中心がないという意味で、村上隆などの言うスーパーフラットの一例と言えるかも。深読みしすぎですかね。というコメントをした。まあ、スーパーフラット云々というのは半分冗談なのだけれど、平面の集まりだから平面的に見えるというのは、案外当たっているのかもしれない。

というのも、何年か前に、OrigamiUSA コンベンションにエリック・ジョワゼルさんが来たとき、彼が、折り紙には平面作品、疑似立体作品、立体作品の3種類があるという話をしていたのを、ふと思い出して、小松さんの作品は立体作品ではなく疑似立体作品だなと思ったから。疑似立体作品は、ジョワゼルさんの作品でいえばネズミなどで、紙の厚みやウェットフォールディングなどで立体感を出すことはできるけれど、本質的には平面の集まりであるような作品。それに対し、立体作品は、センザンコウタツノオトシゴなど、張力折り等の技法を使って立体的な曲面を作る作品。疑似立体作品では紙を立体的にするのに対し、立体作品は紙が立体的になる、と言ってもよいだろう。その意味では、小松さんの作品は紙が立体的になっていない。

(しかし、それを言ったら、モントロールさんの作品も明らかに疑似立体作品だ。日本的な平面作品と、西洋的な立体作品と言うのは、いまだに謎のまま。)

何で今ごろこんなことを思い出したのかというと、14日から始まる LOVE 転に出品する作品が、私らしくもなく、疑似立体作品だから。テーマが「ピンク」ということなので、昔創作した作品を引っ張り出してきて、羽目をはずすつもり。

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二〇〇四年 霜月 七日 日曜日

静岡コンベンション

静岡コンベンションに参加した。今回は講習も展示もせず、単なる参加者のつもりでいたのだが、会場につくとなぜかプログラムに私の名前があった。ほかにも当日の朝知らされた人が何人かいたよう。事前にいってくれれば紙の用意ぐらいしたのに。

展示作品では、神谷さんのが抜群。龍神 3.5は鱗が1枚1枚折ってある。すごい作品には違いないが、あそこまでいくと、もとの紙の形が正方形であることの意味があるのだろうか。

私個人としては、24時間以上 Mac に触らず、インターネットにも接続しなかったというのが、貴重な体験だった。おかげで、今取り組んでいるシリーズに新たな発展があった。やっぱり紙を触っている時間というのは必要だ。

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