二〇〇四年 神無月 九日 土曜日
続々・北條さんの暫について
遅ればせながら、宮島さんの記事に対する返答。
北條さんの暫が、現代コンプレックス折り紙の最高到達点
の1つであることは、その通りだと思うが、私は、現代コンプレックス折り紙なるものが折り紙の到達点であるとは考えていない。むしろ、そこが出発点で、そこから先が折り紙の問題だろうと考えている。創作技術は、そこから先へ進むための手段であって、折り紙の一部分にすぎない。
折り紙らしい折り紙とは、一言でいえば、技法として折り紙を選んだことに必然性があるものということになるだろう。ある技法を選択したときに、その技法特有のデフォルメがされるというのは当然のことで、問題は、その技法を選んだことに必然性があるかどうかということなのである。
その点については、私の考えと北條さんの考えはあまり異なってはいないだろうと理解している。北條さんの「空間折り紙」は、まさに紙を折ることによってはじめて実現される空間表現だから、折り紙で作ることに必然性がある。それを純粋な形で具現化したものがさかなのオブジェの作品群である。
暫については、優れた彫刻がすでにあるのだから、それを単に折り紙で再生産するだけでは、車輪を再発明することにしかならない。暫を折り紙で折ることが、折り紙にとって意味があることは当然であるが、折り紙にとっての意味は折り紙人の集団という狭い世界でしか通用しない。私が問題にしているのは、暫を折り紙で折ることが、世界にとってどんな意味があるのかということなのだ。
だから私は、暫やガブリエルよりも、さかなのオブジェの方を高く評価する。さかなのオブジェは、折り紙でなければ見ることのできなかった世界を見せてくれているから。
二〇〇四年 神無月 二日 土曜日
続・北條さんの暫について
ご本人に実物を見せてもらった。写真で見るよりもずっと折り紙らしさが残っていた。細かいところもつぶれていないし、がちがちに固まっているわけでもない。確かに紙の質感は変わってしまっているが、別の作品に生まれ変わったと考えることができるだろう。
また、このような処理を施したことについては、明確な目的と周到な準備があったということを聞いて、納得した。北條さんとしては、折り紙を広めるために、どんどん作品を表に出したいと思っているそうで、そのために、たとえ折り紙作品の生命を絶つことになったとしても、あるいはむしろ意図的に生命を絶つことによって、多少手荒な扱いを受けても耐えられるようにしたということだ。私だったら別のアプローチをとるので、私がニスを塗ることはないけれど、北條さんのアプローチも一つの方法だと思う。
なお、コーティングの技法については、ジョワゼルさんとの会話からも大きな示唆を受けたそうだが、ご自分でもいろいろ工夫しており、この次は別の素材を使うそうだ。
2004年11月4日追記 上記写真のページで、ご本人による詳しい説明が読める。また、ツヤ消し加工が加わった。写真では木彫のように見える。
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二〇〇四年 長月 廿九日 水曜日
北條さんの暫について
写真を見る限りでは、私も小松さんと同意見。折り紙らしさがなくなってしまっているように見える。
ジョワゼルさんの作品をシャーロッテで見たときも、いくつかの作品については同じ感想を持った。折り紙らしくない。人物の姿形を再現するというのは、彫刻の世界で長い歴史を持っているわけだから、それを折り紙でやろうとしたときに、彫刻で作ることのできる造形を折り紙で作っても意味がないと思う。折り紙でなければならない必然性がなければ、折り紙を折らない人にとっての興味の対象にはならない。
折り紙作品の保存については、美術館学の修士号を持っている私としては、いいたいことはたくさんあるので、稿を改めるつもり。
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コメント (3件)
タトさんのコメント:
羽鳥さんの議論を見ていると暫はマニア受けするがさかなのオブジェは一般受けするものなのでこちらのほうが良いと言っているようにも見えます。でも現状としては暫が一般受けし、さかなのオブジェはマニア受けするという事態が本当のところだと思います。
これはどのように解釈されますか?
おそらく羽鳥さんにとっての「世界にとって意味のあること」というのが一般受けするというのは別物なのだと思っています。でもそれでしたら「狭い世界でしか通用しない」というのは的を外している感があります。
羽鳥さんのコメント:
タトさん、コメントありがとうございます。
暫が一般受けするというのは、ハリウッド映画が一般受けするのと同じことでしょう。もちろん、よいところがあるから受けるのですが、一時的な興味の対象として受けている部分が大きいと思います。
ハリウッド映画よりよい映画はたくさんあります。よい映画というのは、強い力を持っています。それは、誰でも見ただけでわかるというものではないので、一般受けはしないのですが、では狭い世界でしか通用しないマニア向けのものかといえば、それは違うと思います。映画の力を体験する可能性は誰にでも開かれていますし、誰でも、ひとたびその力を体験すれば、ハリウッド映画が物足りなくなるのです。
タトさんのコメント:
羽鳥さんのスタンスは分かりました。レスありがとうございます。
私はさかなのオブジェは空間表現的な価値に加え折り紙技術的な要素に着目しています。ここ数十年の折り紙の発展を支えてきたのは技術的進歩だと考えていますので…。
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