blog.鶯梭庵

二〇〇五年 弥生 廿九日 火曜日

折り紙と著作権・再び前言撤回か?

折山さんの記事創作者の権利についてを読んで、おおまかにはその通りだと思うのだが、1つ引っかかっていることがある。創作された折り紙作品そのものが著作物であるのかどうかということだ。

折り紙と著作権・私見で書いたように、創作された折り紙作品が著作物でない可能性がある。その一方、最近 OrigamiUSA が弁護士に聞いたところでは、創作された折り紙作品は著作物だという見解を得たそうである。

この弁護士の見解については、現在ロバート・ラングがまとめている最中とのことで、それが発表されるまでは、はっきりしたことを書くのは控えたいのだが、どうやら、音楽と料理の違いとして、私が見落としていたことがあったようだ。料理は実用であるのに対し、音楽は芸術だ。実用品は著作物ではないが、芸術作品は著作物だ。ゆえに、料理のレシピは著作物ではなく、音楽の楽曲は著作物だ。

もちろん、実用と芸術との違いというのは、はっきり区別できるようなものではない。実用的な音楽もあれば、芸術的な料理もある。しかし、音楽はどちらかというと芸術で、料理はどちらかというと実用だ、ということならいえるだろう。そう考えると、折り紙は、どちらかというと芸術といえると思う。それなら、創作された折り紙作品も、音楽の楽曲と同じく、著作物であっておかしくはない。

ひとたび、創作された折り紙作品が著作物だといえれば、後は折山さんが書いた通り、現行の著作権法だけで解決できるかもしれない。まだ詳しく検討していないので分からないが。

1つ気になっているのは、アメリカでは固定されていないものは著作物として認められないはずだということだ。ひょっとすると、折り図などの形で固定された折り紙作品に限って著作物になるということかもしれない。そのあたりはラングさんのまとめを待ちたい。

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二〇〇五年 弥生 廿八日 月曜日

折り工程は著作物か

私が折山紙太郎さんに向けて書いた記事に対して、小松さんが折り工程は折り紙作品の二次的著作物(派生作品)と考えるのが妥当だと思う。という見解を表明したところ、折山さんは、著作権法と関連付けると、議論がゆがんでしまうと思います。と反論している。結論を先にいえば、私も折山さんと同意見。

折り工程は、音楽に例えれば、運指法など、楽器の奏法にあたるのだろう。ところが、楽器の奏法は著作物ではない。以前にも書いたが、著作権法における「表現」というのは、形式的なもので、内容には関わらない。折り図は折り工程を表現しているから、著作物だが、折り工程そのものは著作物にはならない。

折り手順(折り工程)も折り紙の表現になりうるということについては、私も賛成する。しかし、最近の私は、個人的に、そのような表現には興味がないということは告白しておく。

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二〇〇五年 弥生 廿六日 土曜日

折り紙と著作権・折山紙太郎の日記に応えて

折山紙太郎の日記というサイトに、折り紙の著作権についての記事がいくつか書かれている。これについて、考えるところを書いてみたい。


展開図と著作権(?)と特許権(?)について。

創作された折り紙作品は、特定の折り手順と同一視できるものではない。分かりやすい例でいえば、折り鶴を折るとき、初めに三角に折る折り方、四角に折る折り方、正方基本形の折り目をつけてから畳む折り方などがあるが、どれも「折り鶴」という同じ作品を折っている。

折り鶴の折り図を見ながら折り鶴を折った場合と、折り鶴の展開図を見ながら折り鶴を折った場合とでは、どちらも「折り鶴」という同じ作品を折ったのである。だから、折り図と展開図はどちらも、折り方としての折り紙作品を表現したものだといえる。折り図と展開図との違いは、折り図は折り手順を表現しているが、展開図は折り手順を表現していないということだろう。しかし、折り手順は折り紙作品ではない。

折り手順はアイディアであり、著作物ではない。特許の対象だ。しかし、折り図に表現されている「折り方」は、折り手順とは違う。それは展開図でも表現されうるものだ。


折紙と著作権は相性が悪いのではないかと疑ってみるについて。

折り紙は誰でも楽しめる。個人の楽しみのために折るのは自由だ。しかし、ウェブサイトに投稿することは、誰でも楽しめるわけではない。ウェブサイトは公共の場であり、開放的なふるまいは許されない。

自分が折った作品の写真をウェブサイトに投稿する場合、自分が折っている作品の題名と創作者くらい知っているべきだし、知らなければ、知る努力をするのが当然だと思う。作品を一般に公開しようというときには、それなりの責任を負わなければならないのだし、責任を負うのがいやなら、公開しなければいいだけの話だ。

ただし、自分が折った作品の写真を公開するときに、折り図の出典を書く必要はないと思う。折り図を複製しているわけではないからだ。伝承作品なら、子供のころに折り方を教わったから特定の出典がないということも多い。しかし、川崎敏和のバラなど、いくつかのバリエーションがあって、どの折り図に依拠したのかが重要になる場合には、当然出典を意識する必要がある。


著作権は必然か?について。

あるものが著作物であるために、独創性は必要ない。必要なものは創作性であり、創作性とは、作者の個性が表現されているということである。それが独創的であるかどうかは、著作権とは関係がない。

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二〇〇五年 如月 二日 水曜日

折り紙作品が著作物でないとしても

昨日の記事折り紙と著作権・私見で、創作された折り紙作品は著作物ではないと結論したが、それはあくまで法律上の話で、他人が創作した作品を無断で利用することが倫理的に許されるかどうかは別問題。

具体的にどのようなことをするべきでないかということについては、現在日本折紙学会でガイドラインを製作中なので、そちらを参照してほしい。

コメント (13件)

まず2/1の記事に関してなのですが、第一の理由を根拠に折り紙が著作物ではないということを主張するのは折り紙に芸術的価値がないといっているようにもみえます。

また第二の理由に挙がっている著作権を管理する団体があるかどうかや社会的システムが存在するかというのは法律の解釈の問題でいけば関係ないと思います。というのも著作権というのは著作した瞬間に創作者に発生する権利であってそれを登録したりする必要の無いものだからです。

確かに折紙は料理と似ているところは多いですが、それは料理が著作物である可能性を示唆しているともいえるのではないでしょうか?


また1/27の記事に関しては、『折り紙作品が、「これこれこういう風に折れば、こういう折り紙ができますよ」というノウハウであるのなら』というところが気になりました。羽鳥さんの考えだと、作品の睨み折りをすることが著作権上の複製もしくは二次的な著作に当たらないという結論に至りますがそれには全然反対です。


最後に今日の記事に関してです。著作権法というのはレコード会社を儲けさせるためだけの物ではなくて創作者の人格を傷つけるような倫理的な観点で許されないことを法律上でも規定するための物でもあります(著作者人格権など)。倫理的な問題だからといって法的正当性を捨て去る必要は無いと思います。

私は料理の芸術的価値を認めます。それにもかかわらず、料理のレシピは著作物ではないようなのです。(料理が著作物であるという判例もしくは主張をご存知でしたら教えて下さい。)

創作された折り紙作品が著作物ではないという見解については、私もできれば反対したいところですが、私が根拠なしに反対したところでどうこうなるというものでもないでしょう。

羽鳥さんの主張では「折り方」が著作権上保護されないことの根拠を挙げているだけであって、それを「折り紙作品は著作物でない」というのはどうかと思います。

探偵団BBSの(03744)(http://www.origami.gr.jp/BBS/03701-03750.html#03744)でも書いていますが、折られた造形は思想又は感情を創作的に表現したものですから著作物です。


確かに「折られた造形」が折紙作品の全てではなく、折り方やその構造を含んだ抽象的な「折紙作品」というのを考えるのは当然のことだと思います。でもその観点から言えば「折紙作品は部分的に著作物である」ということになる筈で、「折紙作品は著作物でない」とはいえないと思います。

私は「創作された折り紙作品は著作物ではない」といっているのであって、「折り紙作品は著作物ではない」といっているのではありません。

是非詳しい説明をお願いします。

私は羽鳥さんの主張される「創作された折り紙作品は著作物ではない」という意見の根拠として上げられている項目に関して根拠とは為りえない事を示しています。また「折り紙作品が著作物である」ということの根拠を挙げています。

「創作された折り紙作品は著作物ではない」ことを主張するために、私の指摘に対して反論するか、新しい根拠を挙げてください。

また「創作された折り紙作品」「折り紙作品」の定義を説明して、どうして著作物たるか否かの差が発生するのかの説明をお願いします。


私がここまで拘っているのは、羽鳥さんの意見が日本折紙学会の公式見解に次ぐ重要さをもって見られていると考えているからです。このページを見た一般の人が、どうして「創作された折り紙作品は著作物ではない」のか誤解無く理解できるように説明するべきだと思います。

私が何度か引用した、著作権・プライバシー相談室のページにも明記されているように、著作物になることができるのは表現されたもので、アイディアは著作物ではありません。私が「創作された折り紙作品」といっているのは、折り紙の折り方のことで(2004年11月21日および15日の記事参照)、それはアイディアです。アイディアと表現との違いは、形式的なもので、芸術性の有無とは無関係です。

同じように、料理のレシピや、作曲された音楽も、アイディアです。それなので、料理のレシピが著作物でないことは納得できます。ところが、著作権法には、音楽は著作物であると明記されており、実際に、作曲された音楽は著作物だと考えられています。そこで、法律の解釈から離れて、そもそもどうしてそのような法律ができたのか、そしてその法律の施行を可能にしている条件は何か、という問題を考えました。それが2月1日の記事です。

なお、「著作物でない」というのは、単に「著作権法が扱う範囲にない」ということにすぎず、知的財産ではないということではないし、価値がないということでもありません。折り紙の折り方に著作権がないとしても、知的財産権を与えることは可能です。実際に、折り紙の折り方が特許や実用新案として登録されたことがあります。

まず創作と制作を分離し、創作活動はアイディアの発案であり著作ではなく、制作はアイディアに基づく物であるから創作者の著作権の及ぶところではないと結論付けているようですね。


しかし著作権を考える上では創作と制作を分離する事自体ナンセンスです。著作物というのは「思想又は感情を創作的に表現したもの」とあるように創作と制作両方のプロセスが両方行われた結果のものです。創作は表現ではない、制作は創作的でない、として二つの活動を分割すれば著作という概念は存在しえません。


また、折紙の創作というのはただ「折り方を考える」といったナイーブな物ではなく、形態のデザインでもあります。創作的なデザインは実際に折る、図面、などの方法で表現されれば著作権的に保護されます。


逆にいえば羽鳥さんの仰る著作権的に保護されない「創作された折り紙作品」というのは、形態のデザインを含まない折り方の発案という事になりますが、これを「創作された折り紙作品」と呼ぶのはおかしいと思います。

> しかし著作権を考える上では創作と制作を分離する事自体ナンセンスです。

創作と制作を分けるのは、著作権とは無関係です。事実として分けられるという主張をしています。もしも事実として分けられるとすれば、どんな場合にも分けられるはずです。

タトさんは、折り紙は著作物であると前提しているようですが、それは論点先取ではありませんか。


> また、折紙の創作というのはただ「折り方を考える」といったナイーブな物ではなく、形態のデザインでもあります。

繰り返しますが、アイディアと表現との違いは、形式的なものです。形式的というのは、内容は関係がないということです。ナイーブとかデザインとかは関係ありません。実際にデザインされた表現は著作物になり得ますが、デザインのアイディアは著作物ではありません。


最後に、現行の著作権法は、折り紙のことを考慮せずに作られていると考えられます。ですから、著作権法を折り紙に適用しようとしたときに、納得できない結論が出ることもあり得ます。著作権法が今のままである限り、最終的な結論を出すのは裁判所であって、私でもタトさんでもありません。現行の著作権法に折り紙を合わせるのではなく、著作権法を折り紙に合わせるという方向に進むべきだと考えます。

表現を含まないアイディアが著作物でないということは前提として話をしているつもりです。

その上で、「創作された折紙作品」はアイディアではなくて、表現であるといっています。折紙を創作するということは、折り方というアイディアを発案する事ではなく、折られた形態のデザインをすることです。そして、その際「折られた作品」(もしくはその設計図である展開図)としてそのデザインは表現されることになります。


新しい表現を含まない折り方(アイディア)のみというのは例えば「折り鶴を128工程で折る方法」とかのことを示しています。これを守るのは著作権法でないという事は分かります。しかしこれは「創作」とは呼びません。


「最後に、」以降に関しては全面的に賛成です。

著作権を考える上では創作と制作を分離する事自体ナンセンスだというのを説明します。

この考えを用いればこのようなことがいえます。

小説家Aが小説を書くとき、創作の段階では文字の配列すなわち概念上の「小説」が出来上がりますが、これは表現されたものではありません。これが電子データもしくは紙媒体等に記録されることによって初めて表現となります。さてこの考えを用いるなら、他の人BがAの発案した概念上の「小説」(著作物ではない)をそのまま使って電子データもしくは紙媒体に表現したものというのはBの著作となるわけです。


概念上の「小説」とその表現されたものは、事実として分ける事ができますから、折り紙に関して羽鳥さんが導いた議論と根拠は同じです。

繰り返しますが、アイディアと表現との違いは形式的なものです。デザインのアイディアは著作物ではなく、デザインの表現は著作物です。表現を含むアイディアはありえません。

小説に関しては、創作と制作を分離することはナンセンスです。なぜなら、事実として分けられないからです。小説は表現であり、「概念上の『小説』」はナンセンスです。折り紙における折り図、音楽における楽譜、料理における印刷されたレシピに相当するものは、小説には存在しません。

折紙の創作は表現です。

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二〇〇五年 如月 一日 火曜日

折り紙と著作権・私見

1月27日の記事折り紙の著作権を考えるための準備をふまえて、いろいろ考えてみたが、どうも私には、音楽と料理とのあいだに内在的な違いがあるとは思えない。

作曲された音楽も、考え出された料理も、ある意味で指示の集合体といえる。「こういう風にすればこういうものができますよ」というわけだ。それは楽譜として出版されたり、テレビで放映されたりして、固定されることもあるが、固定されないこともある。その指示自体を観賞の対象として、指示に従うことを楽しむこともある。つまり、音楽でいえばカラオケで歌うことがあるし、料理を自分で作ることもある。しかし、指示そのものではなく、指示に従って作られたものを観賞することもあって、優れた制作者であれば、その指示に表現を加え、芸術作品を作ることができる。

これは、折り紙にもそっくりそのままあてはまる。

音楽と料理の違いとして、私に考えつくのは、次の2点だ。第1に、音楽は、芸術の女神ムーサの名を冠した、芸術の中の芸術であるのに対し、料理が芸術だと考える人は少数派だ。だから、音楽は絵画や文学と並び立つが、料理はそうではない。第2に、音楽では、著作権を管理する団体があって、著作物としての音楽を利用するための社会的システムが存在しているが、料理にはそういうシステムがない。

そこで、折り紙が音楽と料理のどちらに近いかといえば、明らかに料理に近い。とすれば、創作された折り紙作品は著作物ではないという見解に首肯せざるを得ないと思う。

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