今まで慣例的に許されてきた「他人が創作した作品を折って公開」の自由を簡単にキープすること、また作品の改変・改造を原作者の意思で簡単に自由にするための方法が重要な課題かと思われます。
慣例的な折紙のあり方を再現した折紙向けフリーライセンスのようなものがあると便利だと常々思います。
その2から続く。
続いて、福井健策著著作権とは何かの第3章。
折り紙では、偶然よく似た作品が創作されることがある。その場合でも、後から創作した人が、前に創作された作品を見たことがなければ、仮に折り方が全く同じであっても、複製とはみなされない。両者はそれぞれ独立した著作物となる。
では、前の作品を見たことがあるかないか、いかにして証明するのか。実際、証明のしようはないわけで、仮に裁判で争われることになれば、状況証拠に基づき常識的な判断を下すことになる。
例えば、北條さんの伐折羅大将
は折紙探偵団に掲載されており、私はその雑誌を購読しているから、私が北條さんの伐折羅大将
によく似た作品を創作したら、いくら「この作品は見たことがない」と言い張っても通らない。私が北條さんの作品を見て真似をしたと判断されることになる。
しかし、私自身、子どもの頃に折ったことのある作品や、国内外のどこかのコンベンションで見かけただけの作品など、すべて覚えているわけではない。自分では真似をしたつもりがなくとも、意識下にその記憶があって、無意識のうちに真似をしてしまうかもしれない。そのように、本人に真似をしたという意識がなくても、著作権侵害が成立するという判例が、アメリカにあるそうだ。
それではおちおち創作ができないが、アイディアや作風は真似をしてもよいのだから、多少似ていたとしても、私の伐折羅大将が私の著作物になることもある。同じ題材を、同じアイディアを用い、同じ作風で創作すれば、似たものができるのは当然だ。とは言え、あまりにも似ていれば複製であり、だいぶ似ていれば翻案であるわけで、どこで線を引けばよいかという問題が生じる。
これは理屈では片づけられない大問題で、この本にも裁判になった例がいくつか挙げられているが、人によって意見が分かれるようなものばかりだ。個別の事例に対する議論を積み重ねてゆくほかない。その場合でも、判断の基準となるのは、どのようなルールが折り紙文化活動を盛んにするかということだ。あまりルールがゆるければ、創作家は、せっかく新作を作っても誰かに盗作されてしまうという意識を持つだろう。逆に、あまりルールがきつければ、創作家は、いつ誰から訴えられるか分からないという意識を持つだろう。どちらにしても、創作などやっていられないということになる。その中庸を見定める必要がある。
その4に続く。
その1から続く。
続いて、福井健策著著作権とは何かの第2章。
一口に著作権と言っても、様々な権利がある。制作された折り紙作品が美術の著作物であり、折り図が図形の著作物であるということは、おそらく間違いのないところだから、ここでは、創作された折り紙作品が著作物だという仮定の上で、それぞれの権利について考えたい。
複製権は、著作物の複製をコントロールできる権利だ。創作された折り紙作品については、複製とは、具体的な作品(例えば北條さんの伐折羅大将
)を真似した作品を、自分の創作作品として公表するということになるだろう。
上演権・演奏権・上映権は、折り紙の場合、公衆を対象に作品を折ることをコントロールできる権利だと考えることができる。つまり、創作者は、折り上がった作品または折っている過程を、不特定または多数に直接見せることを、コントロールできるという意味だ。こう考えれば、作品を折ること自体には著作権は及ばない。
公衆送信権・送信可能化権は、放送やインターネットでの使用をコントロールできる権利だ。これについては様々な問題があるが、今は置く。
翻訳権・翻案権には、作品のアレンジをコントロールする権利や、折り図を描くことをコントロールする権利などが含まれるだろう。逆に、折り紙以外の著作物を基にして折り紙作品を創作すると、翻案権を侵害する場合がある。
「コントロールできる」と書いたのは、これらを禁止することもできるし、一定の条件で許可することもできるという意味だ。逆に、もしも著作権がないなら、例えばクリエイティブ・コモンズのライセンスを適用したいと思っても、そのライセンスは無効だ。
その3に続く。
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先日、折れ日記の著作権法第38条とYouTube
という記事にコメントをしたとき、著作権関連の本を本棚から引っ張り出したので、この機会に、ベータ版のままになっていた折り紙作品使用のガイドラインをきちんとまとめようと思った。しかし、一度にはできないので、本を少しずつ読みながら、気がついたところをメモに残しておこうと思う。
まず、福井健策著著作権とは何かの第1章まで。
著者は著作権の最大の存在理由(少なくともそのひとつ)は、芸術文化活動が活発におこなわれるための土壌を作ることだ
という考えを述べている。私もそれに賛成する。著作権を考えるときに、著作権法を読むというのはもちろん大切だが、それでも判断に迷ったときは、どちらが折り紙活動を活発にするのか、という基準で判断するようにしたい。
さて、創作された折り紙作品は著作物なのだろうか。創作された折り紙作品は、音楽で言えば作曲された楽曲に当たり、料理で言えばレシピに当たる。ところが、楽曲が著作物であるのに対し、レシピは著作物でない。折り紙作品が著作物であるかどうかは、著作権法を読む限りでは、どちらとも判別がつかない。
私は、創作された折り紙作品は著作物だと考えたい。なぜなら、創作者に著作権を認めた方が、折り紙活動が活発になると考えるからだ。
しかし、そうだとしても、すべての折り紙作品が著作物になるわけではない。
まず、他人の作品を真似して創作した作品は、著作物ではなく、他人の著作物の複製となる。ただし、他人の作品の中のアイディアや作風を真似するのは自由だ。例えば「人物を折るときに、紙の上辺中央を頭にし、四隅をそれぞれ手足にする」というのはアイディアだから、自由に真似してよい。そのアイディアを用い、例えば北條高史さん風の人物像を創作するのも自由だ。しかし、具体的な作品、例えば北條さんの伐折羅大将
を真似して創作した場合、それは北條さんの著作物の複製となる。
また、どこでも見かけるようなありふれた表現は著作物ではない。作品の中の一部分の表現がありふれたものである場合、その部分だけを取り出したときには著作物にはならない。動物の顔や脚を折るときの、よくあるパターンがいくつかあるけれど、それらは著作物にはならないだろう。
さらに、表現に創作性がない場合、つまり、あるアイディアから、ほとんど一種類の表現しか出てこない場合
、それはアイディアであり、著作物ではない。おそらく、五本指の折り方は著作物ではないだろう。では、どこまでがアイディアでどこまでが表現なのか。この線引きは難しい。
なお、非絵画的キャラクターは著作物ではないと考えられているが、絵画的なキャラクターは美術の著作物である。したがって、三毛猫ホームズの折り紙を創作すれば、その折り紙作品はおそらく創作者の著作物になるが、ドラえもんの折り紙を創作した場合、それを公表するには、ドラえもんの著作権者(小学館?)の許諾が必要となる。ただし、「ドラえもん」という名前は著作物ではないから、ドラえもんに全く似ていない折り紙作品に「ドラえもん」という題名を付けるのは問題ないと考えられる。
楽曲が著作物になるためには、楽譜に記録される必要はない。同様に、折り紙作品が著作物になるためには、折り図などに記録される必要はない。
その2に続く。
今まで慣例的に許されてきた「他人が創作した作品を折って公開」の自由を簡単にキープすること、また作品の改変・改造を原作者の意思で簡単に自由にするための方法が重要な課題かと思われます。
慣例的な折紙のあり方を再現した折紙向けフリーライセンスのようなものがあると便利だと常々思います。
他人が創作した作品を折ることについては、複製ではなく上演に相当すると考えることによって、現行の著作権法を折り紙の慣例にしたがって解釈することが可能だと考えています。
ただし、私が何を書いたからといって、法的な権威を持つわけではありませんから、現実問題として何かを自由にするというのは、私の力量を超えると考えます。そのようなことを目標にはしません。
なお、今後の予定として、クリエイティブ・コモンズのライセンスを折り紙に適用することについても考えたいと思っています。
音楽からの類推ですね。その解釈が成り立つと楽ではありますが…。しかし、音楽の上演でもその結果を録音する行為は複製と見なされますし、建築の場合設計図を元に実物を作ることが複製と見なされますから、折紙も出来上がりの形が残ればそれは複製物と解釈されるのではないかと思います。これも類推でしかないですが。
そういえば渡辺大さんがクリエイティブ・コモンズを折り紙に使っていました。こういう場合「作品を折る」とか「折り図を描く」という行為が著作権法的にどう解釈されるかが明確になっていることが重要ですね。
「正しい」解釈を決めることができるのは、裁判所だけです。私は、自分の解釈が法的に正しいというつもりはありませんし、唯一の解釈だというつもりもありません。私の目標は、折り紙文化活動にとって最もよい解釈を探すことです。
クリエイティブ・コモンズについては、タトさんのおっしゃる通りです。
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創作された折り紙作品が著作物かどうかということについては、私はまだ結論を出しかねている。著作物だという結論に対しても、著作物でないという結論に対しても、どちらにも説得的な議論を立てることができる。
一方、制作された折り紙作品については、創作者が制作した折り紙作品の複製と考えるべきではなく、創作された折り紙作品の実演と考えるべきだということは確かなように思われる。
著作権法では、著作者は、著作物を複製する権利を専有する(第二一条)と同時に、著作物を公に実演する権利を専有する(第二二条)。また、複製権は、私的使用については制限されており(第三〇条)、実演する権利は、営利を目的とせず、かつ観衆から料金を受けず、かつ実演家に対し報酬が支払われない場合に制限される(第三八条)。
簡単に言うと、複製を作る場合には著作者の許可が必要であり、私的範囲では例外的に許可が必要ない。一方、実演の場合、私的範囲の実演には著作者の権利はそもそも及ばない。また、公の実演でも、非営利の場合は例外的に許可が必要ない。
折り紙の制作が複製だとすると、制作した作品を公開するためには、創作者の許可が必要だということになる。学校の文化祭での展示や銀行のロビーでの展示でも許可が必要になる。また、折り紙サークルが公民館で折ったりするのも、人数がある程度多ければ許可が必要になる。しかし、これではあまりに厳しすぎる。一方、折り紙の制作が実演だとすれば、このような行為は、非営利である限り、創作者の許可なくすることができる。
折り紙において、創作者が作品を創作した場合、それを他人に折らせないということはまれで、折り図を描いたり折り方を講習したりして他人に積極的に折ってもらうことの方が多い。そうして作品を制作した制作者としては、それを多くの人に見てもらいたいと思うだろうし、多くの人に折ってもらいたいと思うだろう。そのようなことは、非営利であれば、創作者に経済的な損失はないし、折り紙文化全体の発展につながるから、著作権法の精神にも合致する。私的制作を無条件で認め、非営利の制作に創作者の許可が必要ないとする立場の方が、折り紙の実態に合っていると思われるのである。
なお、非営利の制作であっても、著作者人格権は制限されない(第五〇条)。したがって、制作した作品を私的範囲を越えて公開する場合には、作品の創作者名と題名を正確に表示しなければならない。
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仮折生活の著作権関連の記事に触発されて、「創作された折り紙作品が著作物だったら」という前提で著作権法を読んでみたら、驚くほどきれいに整理できてしまった。私自身まだまだ勉強不足なので、未完成としておきたいのだが、せっかくつくったので公開する。
2005年4月4日追記 このガイドラインは予告なく変更することがある。しばらくのあいだは毎日少しずつ変えるかもしれない。ご了承いただきたい。
毎回同じ事を言って申し訳ないのですが、
>創作された折り紙作品(折り紙の折り方)は、創作者の著作物である。
というときの「折り方」というのは
>折り方を友人に教えてもいいですか。
における「折り方」と同じものなのでしょうか?
だとしたらこれは「折り紙作品の著作権」から導かれる結論ではなく、「折り方の著作権」から導かれる結論で、そこには差異があると思います。
僕は、(一次的な)創作物は折紙作品の完成形であって、「折り方」はその二次的なものだと思っていますから、「折り方」が著作物であろうと無かろうと折り図などは著作権保護されると思っています。そして「完成形」から導かれる結論なくしては「折り方」から導かれる結論は意味を持たないと思っています。
羽鳥さんが敢えて折り紙作品の完成形を無視するのには理由があるのでしょうか?(「完成形は折り方の二次的な著作物である」とか…)
タトさんのいう「完成形」とは、なんのことでしょうか。
「実際に折られた紙」のことであれば、それを一次的な著作物にしようとすれば、創作者と制作者の権利関係が分からなくなってしまいます。
一般的に「折り紙作品」といわれているもの(「折り鶴」とか、前川さんの「悪魔」とか)のことをいっているのであれば、それは私のいう「折り方」と同じです。
折り紙作品というのが、必ずしも出来上がりの形だけでなく、幾何学的構造や折り工程も含めて作品だという感覚は、多くの人が持っているものだと思います。完成形に限定する方が、折り紙の折り紙らしさを損なうのではないですか。
「幾何学的構造」をもって「完成形」と呼んでいます。
ここに「折り工程」を含んではいけないのではないかと考えます。というのも、例えば「悪魔」という作品はどのような折り工程で折ったかによらず「完成形」が同じであれば「悪魔」として同一の作品として扱われるからです。僕が「完成形」に限定するのはこういう理由です。
例えるとこんな感じです。
「幾何学的構造」 : 「キャラクターデザイン」
「実際に折られた紙」: 「キャラクターを描いた絵」
「折り工程」 : 「キャラクターの描き方」
「折り図」 : 「キャラクターの絵描き歌(解説絵つき)」
タトさん、回答ありがとうございます。
それならば、タトさんのいう「完成形」と、私のいう「折り方」は同じものと考えてください。「折り方」というのはあくまで便宜的な言い方で、意味としては「創作された作品」ということです。
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