リアルである、精巧であるということは創作性とは関係ないのではないかと思います。たとえばラング氏のリアルな動物・昆虫郡は表現的に創作性が高いです。表現に創作性があるというのは、折手や創作家によって表現が異なることから見てもあきらかでしょう。
そういう観点から見ても、表現の創作性でより問題となりそうなのは、むしろ抽象的であったりシンプルな折り紙だと思います。
ガイドラインのベータ版を作ってから1年以上経ってしまったが、いよいよ FC(Final Candidate)版が完成した。
ベータ版では、著作権法との整合性を重視するあまり、徒に複雑になっていたが、そもそも現行の著作権法は折り紙のことを考えて作られてはいないわけだから、著作権法から意図的に離れ、折り紙の論理を優先することにした。
その6から続く。
そもそも折り紙作品は著作物なのか、という問題をもう一度考えたい。著作物は表現でなければならないし、創作性がなければならない。ということは、創作性のある表現でなければならないわけで、リアルな昆虫や恐竜などは、手順やアイディアが創作的であることは間違いないが、表現に創作性があるとは言えないのではないか、それゆえ、著作物にならないのではないか、と考えたのだ。
ウェブを検索してみると、興味深い判例が見つかった。いわゆる「食玩」の原形を制作した海洋堂と、それを製造販売していたフルタ製菓とのあいだで争われた裁判の控訴審判決(PDF)。
フルタ製菓は、海洋堂と著作権使用許諾契約を結び、食玩の製造販売をしていたが、製造数量を過小に報告したため、海洋堂から違約金を請求された。そこで、フルタ製菓は、そもそも海洋堂の原形は著作物ではないので契約自体が無効だと訴えた。
それに対する判決は、私なりに簡単にまとめると、以下の通り。
海洋堂の模型原形は美術品だと認められるけれど、美術品であっても、鑑賞を目的とするものであるかどうか、観る人によって判断が分かれるような場合は、純粋美術として無条件に著作権法で保護することは、予測可能性を害するものであって、相当ではない。海洋堂のフィギュアのうち、妖怪フィギュアについては、空想上の妖怪を造形したものであり、高度の創作性が認められ、一般的な美的鑑賞の対象となるということができるので、応用美術の著作物に該当する。一方、動物フィギュアとアリスフィギュアは、実際の動物やテニエルの挿し絵を忠実に再現した模型であり、創作性が高くないといわざるをえないので、著作物には該当しない。しかし、このような契約は著作権使用許諾契約に特有のものではなく、本件においては、著作物性は契約の要素となっていなかったと認められる。したがって、本契約は有効であり、フルタ製菓は違約金を支払え。
私が注目した点は2つ。第1に、実物や他人の著作物を精巧に再現した折り紙は、著作物にならない可能性が高いということ。デフォルメをしたとしても、それが美術性を高めるためではなく、製造工程上の理由である場合には、創作性があるとは認められない。第2に、仮に折り紙作品が著作物でないとしても、双方合意の上でロイヤリティ契約を結べば、それが法的拘束力を持つということ。前回の記事で、創作家が、自分に著作権があるつもりで契約をしても、実は著作権がないとしたら、違法な契約は法的拘束力を持たないから、その契約が無効になりかねない。
と書いたが、しっかりした契約を結ぶ限り、その心配はない。
リアルである、精巧であるということは創作性とは関係ないのではないかと思います。たとえばラング氏のリアルな動物・昆虫郡は表現的に創作性が高いです。表現に創作性があるというのは、折手や創作家によって表現が異なることから見てもあきらかでしょう。
そういう観点から見ても、表現の創作性でより問題となりそうなのは、むしろ抽象的であったりシンプルな折り紙だと思います。
著作権法の文脈では、創作性があるとは、模倣ではないということです。一方、精巧な模型は、実物を模倣したものです。したがって、精巧な模型の創作性は低くなります。
一般に、著作物であるためには、作者の個性が何らかの形で表れていれば十分だとされます。しかし、応用美術の場合は、高度な創作性が必要です。どの程度高度でないといけないかというと、海洋堂の動物はダメで、妖怪はOKという程度だということです。
コメントを書くには JavaScript が必要です。
その5から続く。
続いて、岡本薫著著作権の考え方の第6章。
岡本が言うには、日本の著作権問題
は、大部分が著作権契約問題
だという。つまり、当事者間で契約があれば防げた問題だ。
折り紙の場合、別の問題がある。創作された折り紙作品が著作物であるかどうか、法的にはっきりしていないのだ。創作家が、自分に著作権があるつもりで契約をしても、実は著作権がないとしたら、違法な契約は法的拘束力を持たないから、その契約が無効になりかねない。
しかし、逆に、法的根拠がはっきりしていない今のうちに、創作者と利用者が双方合意の上で契約をし、それに基づく活動をするということを積み重ねてゆけば、いざ法的解釈が必要となったときに、「現行の慣例がこうなっているから」という考慮が多少ともなされるのではないかと、ほのかに期待している。
そう考えると、ガイドラインとは別に、契約の雛形となるべきものが必要になる。文化庁が提供する誰でもできる著作権契約マニュアル
や、クリエイティブ・コモンズ・ジャパンが提供するライセンスが参考になるだろう。その上で、創作者との契約がないときに利用者が従うべきものとして、ガイドラインが位置づけられる。
利用者の立場から言えば、JASRAC のように著作権を一元的に管理する団体があって、そこに利用料を払いさえすれば折り紙作品が利用できるというようになっていれば、便利だろう。しかし、創作者としては、利用者と契約するか著作権管理団体と契約するかの違いがあるだけで、著作権管理団体があったとしても何かが大きく変わるわけではない。このような団体を作るとすれば、利用者の側が率先して作るほかないが、現実問題として、そのようなことは実現しないだろう。
その7に続く。
コメントを書くには JavaScript が必要です。
その4から続く。
続いて、岡本薫著著作権の考え方の第3章。
岡本によれば、著作隣接権の本質は業界保護
だそうだ。現実を見ると、著作隣接権は、政治力の強い業界に付与されている。そう考えると、折り紙業界の政治力はなきに等しいから、折り紙の著作隣接権が法律に明文化されることは、遠い夢なのかもしれない。
しかし、音楽の演奏を考えてみれば、例えば私はプロの歌手ではないが、私が自転車に乗りながら鼻歌を歌えば、それも演奏であって、私に著作隣接権がある。つまり、業界に属していなくとも、著作隣接権を持つことはできる。音楽業界の政治力のおこぼれにあずかっているということなのかもしれないが、そうだとすれば、折り紙がそのおこぼれにあずかってもよかろう。私としては、音楽の演奏者に与えられているものと同じ程度の著作隣接権が、折り紙の制作者にも付与されると考えたい。
さて、音楽などの実演者の場合、著作隣接権によって保護されるのは、演技そのものである。折り紙の場合、パフォーマンスとしての折り紙作品の制作や、折り紙作品の折り方の講習がこれにあてはまるだろう。その結果でき上がった作品については、著作隣接権があると考えることはできないだろうが、創作された作品を翻案した美術の著作物(二次的著作物)と考えることができるだろう。
その6に続く。
コメントを書くには JavaScript が必要です。
その3から続く。
次に、岡本薫著著作権の考え方の第2章。
無断で「公衆に伝達されない権利」は、実演・上映・放送等に細分化されている。私は、折り紙の制作もここに含まれると考えたいのだが、現行の著作権法では、折り紙の制作についての記述はもちろんないから、その解釈が成り立つ保証がない。とは言え、創作者の権利、制作者の権利、および利用者の権利の均衡を考えると、この解釈がもっとも妥当だろうと考える。折り紙作品の制作が作品の複製にあたるとすると、以前書いたように利用者の権利が実態に合わないほど制限されるのに加え、制作者に著作隣接権が認められないことになる。
そうすると、「公衆への伝達」には、制作した作品を公衆に見せることが含まれるだろう。創作者の立場から言えば、制作した作品の写真を公衆に見せることも含まれると考えたい。自分が創作した作品の写真が営利目的で利用された場合、制作者と写真家に権利があっても、創作者に何の権利もないというのは、納得しがたい。
一方、利用者の立場から言えば、自分で作った作品をお店のショーウィンドウにかざったり、写真をウェブサイトに掲載したりするのは、慣習的に行われていることだから、このようなことは認めたいところだ。喫茶店の店頭でテレビを見せることも、公衆への伝達にあたるが、例外的に認められているので、それと同じように認めることができると考えられるだろう。
その5に続く。
コメントを書くには JavaScript が必要です。
コメントを書くには JavaScript が必要です。