二〇〇六年 卯月 二日 日曜日■ アートとデザイン [/links]エイプリルフールネタを書くために韓国の歴史を調べていたときに、ナム・ジュン・パイクはテレビをほとんど見なかったということを知り、考えた。彼はテレビを見なかったからこそ、素晴らしいビデオアートを生み出せたのではないだろうか。 アートとデザインは違う。私の考えでは、比喩的な言い方をすれば、デザイナーは見たことのあるものを作り、アーティストは見たことのないものを作る。 人間というのは、自分の知っているもの、認識方法を学習済みのものしか認識できない。いわば、認識の語彙というものがある。この語彙は、生得的な部分もあるが、大部分は経験的に形成されるもので、ある社会にはその社会の一般的な語彙というものがある。デザインは認識してもらうためのものだから、その表現は、一般的な語彙の範囲内に収まっていなければならない。優れたデザインというのは、表面的には見たことのないものであっても、見方は分かる。いわば、潜在的に見たことがあるのだ。 一方、芸術は、今まで誰も見たことのない方法で世界を見せるものだから、その社会の一般的な語彙を外れる。だから、芸術は「分からない」。認識方法を学習していないから、どのように見たらよいのか、にわかには分からないのだ。芸術作品を鑑賞するには、自分の認識の語彙を拡張しなければならない。そのとき、優れた芸術であれば、正しい見方は存在せず、鑑賞者はそれぞれに思い悩み、それぞれ異なった方向に語彙を広げなければならない。しかし、ひとたび語彙が拡張されれば、鑑賞者の目に写る世界は、それ以前とは異なったものになる。これこそ、芸術体験にほかならない。 さて、テレビ放映が始まって以来、ほとんどすべてのテレビ番組は、デザインである。少数の優れたものと、多数のくだらないものがあるが、どちらにしても、社会一般の語彙をはみ出ることはない。見たことのないものを見せることはあっても、見たことのない見せ方を見せることはない。「分からない」番組にはスポンサーが付かないからだ。テレビは、社会の語彙を確認し、語彙の境界を強化する。それは、ナム・ジュン・パイクのビデオアートとは正反対の方向を向いている。 私の家にはテレビがないということを付言しておく。 |
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